close

レシピ検索 レシピ検索
馬田草織の塾前じゃないごはん
塾前じゃないごはん=お夕飯のこと。ポルトガル料理研究家で文筆家の母・馬田草織さんとJKこと女子高校生の娘さん。女2人で囲む気ままな食卓の風景をお届けします。さて今晩の「塾前じゃないごはん」は?

できない人の気持ちは、大人になるほど忘れがちなのだ。『かりほく里いものり塩』レシピ

2023.10.24

「かりほく里いものり塩味」のレシピ

[第16回]できない人の気持ちは、大人になるほど忘れがちなのだ。

[第15回]出張の間のごはんをどうするか、それが問題だ。

あれはおととしの夏のこと。何度かの緊急事態宣言を経てなお、マスクの日々が続いたコロナ禍も2年目、まだまだいつもどおりの暮らしには戻りそうもないと悟ったある日。こうなったら、いっそいままでやってみたかったけれど時間がなくてできなかったことをやってみよう、と、ふと思い立った。

ふとしたきっかけで通いはじめたギター教室

その昔、趣味でバンドを組みボーカル担当だったわたし。当時からひそかに、ギターを弾きながら好きな歌を口ずさめたらどんなにか楽しそうだと妄想していた。一方JC娘は急激に音楽にはまりはじめ、いつかバンドを組んでギターを弾いてみたいというリアルな夢を持ちはじめていた。偶然にも両者の望みが一致し、それなら早速と親子で近所のギター教室に入会したのだ。振り返ってみるとそれは、コロナ禍の最後の1年間でもあった。


娘はピアノを少しかじっていたが、わたしは楽器を習うこと自体が生まれて初めて。おっかなびっくりだった。ギター教室に行ってみると、当たり前だがそこにはずらりとギターが並んでいた。そもそもギターには、クラシックギター、アコースティックギター、エレキギターの3種類がある。ということも、行ってみてそういえばそうだったと気がついたくらい。すがすがしいほどに知識がなかった。教室の担当者と演奏したい曲の傾向などを相談した結果、わたしはクラシックギターを、娘はエレキギターを練習することになり、二人別々の個人レッスンで、ギターの持ち方からスタートした。

ちなみに始めたころの目標は、わたしはノラ・ジョーンズの曲を家で弾き語りできるように、一方娘は未来のバンド活動をイメージしながら、米津玄師やKing Gnuの曲のフレーズを弾けるようになりたいというものだった。そして二人とも、同じ先生に習いはじめた。先生はわたしとほぼ同世代で、とてもやさしい男性だった。


習い始めは、まずは指の置き方と動かし方から。クラシックは指弾き、エレキはピックなので少し違うが、要は基本の習得だ。レッスンは週に1回なので、習ったことを家できちんと復習すると次のステップに進める。最初はあふれんばかりのやる気で、意欲的に復習していた。やがて基本的な指使いがなんとなくできるようになってくると、先生は飽きっぽい生徒の気持ちが離れないよう、さっそくそれぞれの曲の練習に入ってくれた。基本練習よりも、早くなんらかの曲が弾きたい。料理にたとえるなら、じゃがいもの皮むきよりも、簡単なバスタを作って食べたいのだ。


楽器を持ってまだ1カ月の超初心者は、目の前で先生がさらっと弾く曲のフレーズを、いつか自分でも弾けるようになるのかと思うと、それだけで純粋に心躍った。あの曲を早く弾きたいという初期衝動は、久しぶりに感じる心の底からの願いでもあったし、うまくなりたいという強い願望は人を驚くほど能動的にする、ということも思い出させてくれた。
  

想定以上の難しさだった、ギター

しかしギターを演奏するということは想像以上にむずかしかった。まず、もう自分でもあきれるぐらい、頭の中で考えていることが指の動きに結びつかない。薬指を動かしてと言われているのに、人さし指が勝手に動く。喜劇。自分の指すらコントロールできないなんて、笑えるけど恐怖。みずみずしく吸収力抜群の脳を持つティーンの娘はすぐに反応できていたが、一方わたしは毎回コントレベルで指が動かせず、ギターの練習をしているというよりは、脳トレかリハビリにいそしむ人のようだった。

先生がいとも簡単に弾く美しいフレーズを、100倍ぐらいの時間をかけて似ても似つかぬフレーズで再現するわたし。そのぎこちなさは、ハイハイから二足歩行に移ったころの1歳当時の娘をふと思い出させた。必死に挑む尊さは同じなれど、わたしのそれには愛らしさやほほえましさはまるでない。あ、おかしみはあった。でも、大変だったけれどこれがやたらと楽しかった。なにより、自分の中にまっさらな新しい世界が生まれつつあることがうれしかった。

覚える喜びと、ひしひしと感じる老化

最初の数カ月は、娘もわたしもギターってむずかしいねとぎこちなく練習していたが、やがてあるときを過ぎると娘はどんどん基本のコードを覚え、指の運びを習得していった。一方わたしは相変わらず絶望的に覚えが悪い。なんといっても、曲を組み立てる基礎となるコードそのものが頭に入らない、というよりも、頭に入っても一瞬で忘れるから、蓄積されない。大きな穴のあいたポリ袋に水を注いでいるようで、貯めたはずのものが瞬く間にゼロになる。ああ、老化。先生の言っていることはわかったつもりでも、実際自分が演奏するとなると恐ろしく再現に時間がかかる。とことんできない自分に出会う、新鮮な体験だった。最終的にはコードの組み合わせではなく、なにもかもコピーするように覚えたが、完コピは応用がきかないので本来の望ましい覚え方ではなかった。でもいいの。それしかできないんだから。老化には反則技もやむなし。


それでも、好きな曲が少しずつ弾けるようになるとアドレナリンがばんばん放出されて楽しかった。やがて3カ月ほどがたち、最初の課題曲がなんとか弾けるようになると、百戦錬磨の先生はすかさず新しい曲に移り、くじけそうになっていた生徒の意欲をしっかりキープするのだった。2曲目は、どうしても弾いてみたかったノラ・ジョーンズのあの名曲。ええ、ベタですが、なにか。


自分が弾きたかったあこがれの曲だったから、時間を見つけては一生懸命練習するのだが、これまた指使いもややこしく、最初の曲のようにはいかなかった。そうこうしているうちに、だんだんとコロナ禍の状況も変化し、いつもの仕事のペースが少しずつ戻ってきた。生活していくうえではありがたいことだが、しだいに復習の時間が思うようにとれなくなっていき、やがてわたしはオンラインレッスンに切り替えてもらった。

突如訪れた、頭が真っ白になる瞬間

ある日のこと。その日はまったく復習ができていない状態で、先週習ったこととほぼ同じことをもう一度画面上で教わっていた。目の前には、タブ譜と呼ばれる運指の譜面を広げているが、まだ読み慣れていなくて目が泳いでしまう。そこに練習不足も相まって、しだいに気持ちがあせりだした。そしてある瞬間、先生がタブ譜のどこを指摘しているのかがまったく理解できなくなり、頭が真っ白になってしまった。


いい大人になると、そういう切羽詰まった真っ白体験をする機会はどんどん減る。先生は決して追い詰めるような教え方をしない人だったから、明らかにわたしが一人でから回っていたのだった。そして、頭真っ白の自分に思わず泣きたくなり、固まってしまった。画面の向こうから先生が励ましてくれてなんとか正気に戻ったが、全然理解できずに苦しむ感覚は久しぶりだった。そしてそのときふと、ある瞬間を思い出した。それはかつて高校の数学のテストで23点を取り、指導教諭に職員室に呼び出され、どこがわからないのか説明しろと言われたときのことだった。うまくいかなくてあせっている人は、そもそも自分が何をどうわかっていないのかすらわからない。だから泣きたい気持ちでフリーズするしかないのだ。このときの数学の先生のまなざしを、わたしはいまでも忘れられない。


そしてふと思った。これって勉強もスポーツも楽器演奏も料理もみんな同じだなと。初めての試みは、だれでも気持ちに行動がついていかないことが多い。うまくやりたいと思うからこそ、あせってから回りしてしまう。でもそんなとき、周囲はただ温かく見守ってあげることが大事であり、間違っても、真っ白な状態の人を追い詰めちゃいかんのだ。

1年間のギター教室で得たもの

そんなわけで短い時間だったが、ギターを習った1年間で得たものは大きかった。初めて何かができたことのピュアなうれしさを思い出したし、なんと言っても、できなさすぎて頭が真っ白になるという体験を久しぶりにしたことは大きかった。そして、なにかを頑張っている人への尊敬の気持ちも、あらためて強く持てるようになった。テストでも、資格試験でも、スポーツでも楽器演奏でも料理でも、そばで頑張っている人がいたら、ただただ応援すればいい。頑張っている人を上からジャッジするような言動は、頑張ることや失敗することをすっかり忘れた、老いた大人の醜いエゴでしかない。あらためてそんなふうに思うようになったのだった。

 ちなみにわたしのギター練習の現状ですが、いまはちょっとお休みしているだけです。どうかそっとしておいてください。

今回の塾前じゃないごはん


「かりほく里いものり塩味」

里いもといえば、わが家はまずこれ。冬の間に何回も作ります。ポテトチップスの「のり塩味」をイメージした、ご飯のおかずにもつまみにもなるレシピで、煮っころがしとは違ったスナックっぽい軽さと香ばしさがワインやビールを呼びます。里いもだけで作って気に入ったら、じゃがいもや長いもなど数種のいもを混ぜて作るのもあり。その場合、じゃがいもと里いもは同じようにゆでて皮をむき、長いもは皮をむいたらそのまま粉をまぶして焼きます。おかずとしてボリュームを出したい場合は、塩をした一口大の豚肩ロースをカリッと焼き、その豚から出る脂にごま油をたしていも類を揚げ焼きし、すべてをのり塩味に仕上げます。最後に加えるポン酢が味の決め手なので、お忘れなく。

里いもはゆでて皮をむく(電子レンジなら600Wで5分前後加熱)。ゆでる前にいものおなかにぐるりと軽く包丁を入れると、皮をひっぱればするんとむけてスムーズ。皮をむいた里いもを縦に4等分し、片栗粉をまぶす。フライパンにごま油を温め、里いもを並べる。中火でじっくり5分ほど揚げ焼きにし、いい色がついたら返しつつ他の面もこんがり焼く。なるべくさわらないことが肝心。カリッと香ばしく焼きあがったら油をしっかりきってボールに入れ、塩少々、ポン酢しょうゆをボールの脇からひとまわしし、青海苔をまぶしてよく和え、器に盛って完成。青のりの香りが食欲をそそる、秋満喫のけしからんおかずつまみです。
馬田草織
馬田草織
文筆家・編集者・ポルトガル料理研究家。思春期真っ盛りの女子中学生と2人暮らし。最新刊「ムイトボン! ポルトガルを食べる旅」(産業編集センター)。料理とワインを気軽に楽しむ会「ポルトガル食堂」を主宰。開催日などはインスタグラムからどうぞ。
インスタグラム @badasaori

『馬田草織の塾前じゃないごはん』 毎月第2・第4火曜更新・過去の連載はこちら>>>

SHARE

ARCHIVESこのカテゴリの他の記事

TOPICSあなたにオススメの記事

記事検索

SPECIAL TOPICS


RECIPE RANKING 人気のレシピ

PRESENT プレゼント

応募期間 
2024/4/23~2024/5/6

『じみ弁でいいじゃないか!』プレゼント(5/7-)

  • #食

Check!