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馬田草織の塾前じゃないごはん
塾前じゃないごはん=お夕飯のこと。ポルトガル料理研究家で文筆家の母・馬田草織さんとJKこと女子高校生の娘さん。女2人で囲む気ままな食卓の風景をお届けします。さて今晩の「塾前じゃないごはん」は?

娘の小学校の廊下で出会った「勉強はなぜするの?」 という問い。「たたき長芋と刻みハムのふんわりグラタン」のレシピ

2023.12.12

「たたき長いもと刻みハムのふんわりグラタン」

[第18回]「勉強はなぜするの?」 という問い。

[第17回]老化と地味に戦っていたら、体が少しずつ変わってきた話。

わが家のJC娘がJS娘だったころ、授業参観が楽しみだった。娘の様子をかいま見られることももちろんだが、それ以上に自分自身が久しぶりに学校という建物に入ることで、小さい机や椅子、下駄箱や黒板の変わらぬ様子に懐かしい空気を感じたり、廊下に貼られたS学生たちが描いた絵や作品を見たりすることが刺激になったのだ。

そこには大人社会ではなかなか出会えないダイナミックなものがたくさんあった。色が枠から大胆にはみ出た絵、形が大きくかたよった粘土作品、思いを最優先にして作ることのおもしろさがあちこちにあって、それらが自分の栄養になったのだ。そんな子どもたちの作品を楽しむ一方で、廊下に貼られた生徒向けの言葉や雑学的知識にはっとさせられることも、少なくなかった。

今も思い出す、とある問い

いまでもはっきりと覚えている貼り紙がある。1階の奥の廊下の壁にあった「勉強はなぜするのか?」という言葉だ。すっかり大人の自分ですら、ほんとそれな、と思った。どうして勉強するんだろう。なんのための勉強なんだろう。自分でもいまだうまく説明できないのに、もしも今夜子どもに同じ質問をされたら何と答えたらいいだろう。これはぜひ答えを知りたい。その太く大きく書かれた言葉の下には、A3見開きでコピーされた本のページが貼られていた。思わず立ち止まってじっくり読み、その文面をスマホで写真に撮り、いまでもときどき見返すこともある。そこにはこう書いてあった。

〜 あなたに信じてほしいことがあります。それは、あなたには他の人にはない独特の尊い持ち味が与えられている、ということです。(中略)尊いというのは優れているという事とは違います。他人と比較して優れているとか劣っているとかの優劣の比較を超えて、それ自体がかけがえのない尊さなのです。このようなかけがえのない尊い持ち味を見つけ出して、それを一〇〇パーセント発揮して、自己実現の喜びを味わう人生、それが幸福な人生ではないでしょうか〜 (『人はなぜ勉強するのかー千秋の人 吉田松陰』岩橋文吉著/モラロジー研究所)

本の一説を軸に書かれたこのエッセイは、さらにこう続いた。

〜この授かった尊い「持ち味」を見つけ出すことが「勉強」であるというのです。その第一歩は、学校での各教科の学習に全力を挙げて取り組んでみること。そうすることで、自分の得意分野や興味関心のある分野がわかってくるからだといいます。続いてその分野を鍛え、自分の持ち味をさらに高める努力をすることも勉強です。また、家庭や学校を始めとする集団の中で、持ち味を発揮しつつ「公のために何ができるか」という点を追求していくことも、大切な勉強です。
こうして生きがいのある人生をデザインすることが「立志」であり、これこそが人はなぜ勉強するのかと言う問いに対する基本的な答えではないかと岩橋さんは述べています。〜

このコピーされたページは教育関連の冊子の一部だった。貼られた紙は色あせていて少し昔のものらしい。だれもがテストのたびに思う、なんでこんなことしなきゃいけないのかに対するひとつの答えだった。そして「尊い」という言い回しに「推しが尊い」を連想して妙に心に残った。そうか、外の推しだけでなく、自分の中にも尊さを見つけるってことか。おお、なるほど。

学校の各教科の勉強にはいまいち興味が持てないというわたしみたいな子どももいるわけで、その代わりスポーツや絵、歌、楽器、本や漫画、生き物や鉄道やアニメやゲームやファッションには興味が持てるということに気がついていく。嫌いなものがあるからこそ、好きな分野にのめり込むこともあるだろう。

学校に行かなくたって自分の興味はどこかで気がつくことができる。一方で、興味のないことも含めて選択肢があるというのは悪いことではない。問題は、学校では教科ごとのテストの点数や成績でその人が優秀かどうかという判断をされがちなところ。その最たるものが偏差値だ。わたしたちは偏差値は当たり前にあると思いがちだが、偏差値による人の評価は世界で日本にしかないことを、あらかじめ承知していないといけない。偏差値という評価システムは日本特有であり、日本には学歴主義がまだ生きているという悲しい証拠でもある。

かつての偏差値の妄信に思うこと

偏差値ってほんと、なんなんだろう。ひと昔前までは、いい学校を出ていい企業(給料が高い・社会的信用があるなど)に就職して出世しないと幸せになれない、的な古い学歴主義の発想が強烈だったから、みんな偏差値を妄信していた。でも実際に社会に出てみたらよくわかることだが、偏差値が高いからうまくできる仕事なんてない。本当の社会は、成績や偏差値では測れない、もっと多様な能力が必要な分野が多くを占めている。美的センスや発想がおもしろいこと、仕事がていねいだったり緻密だったり、オタク的専門知識が大事だったりユーモアが必要だったり、コミュニケーション能力だったり、あるいは黙々と進める能力が重宝されることもある。さらに複数の人とする仕事の場面では人としてのあり方こそが大切で、だれかに勝つことばかり考えるのではなく、人のいやがることをさりげなくできたり、人の痛みに寄り添えたりすることこそ人間の魅力だということもわかってくる。

話を戻す。人はなぜ勉強するの? という問いだが、この廊下に貼ってあったエッセイでの答えはこうだった。
 

「勉強はなぜするのか?」 それは、「人生をデザインするため」。
 

人生をデザインするために勉強する。それってなんかいい。どんな生き方がしたいのかを自分で考えて選んでいくことがデザインするという意味ならば、成績がいいとか悪いとか、ましてや偏差値なんかではなく、まず勉強をしてみることに意義がある。やってみて嫌いなら、得意なことや好きなことを探しつづける。そして、そのうち自分の中にも尊べる「持ち味」を見つけることが、人生をデザインするということになるのだろう、きっと。

すっかり大人なわたしはすでにまあ人生を生きてきたわけが、でもまだ途中だ、先がある(と信じたい)。だからこれからも、自分の中の尊い何かを大事に生きることで人生をデザインできたら、もっと人生がおもしろくなるのかもしれない。S学校の廊下で、そんなふうにしみじみ思ったのだった。それにしても人生をデザインするって、いい言葉だな。

今回の塾前じゃないごはん

「たたき長いもと刻みハムのふんわりグラタン」

生で食べればしゃくしゃくと、焼けばほっくりの長いも。今回はほっくり路線の、たたき長いもとハムのグラタンです。長いもはすりおろすのではなく粗めにたたくので、大小のかけらができて食感もおもしろい。卵を加えてふんわりボリュームを出します。細かく刻んだハムのほどよい塩け、少しのポン酢で軽い酸味を加えます。こう見えて意外に食べごたえありです。
長いもはピーラーなどで皮をむいて縦4つ割りにし、袋に入れてめん棒やワインボトルでたたきつぶす。ところどころかけらを残すと、焼き上がったときの食感が楽しい。たたいた長芋をボウルに入れ、ポン酢しょうゆと卵を割り入れてさらによく混ぜる。ハムは細かく刻み、加えてさらによく混ぜる。混ぜたら耐熱の器に流し込む。器は平べったく高さがないほうが、中まで早く火が通る。表面にチーズをふり、オーブンやトースターへ入れ、こんがり焦げ目がつくまで焼いて完成。

中はふんわりとろり、ときどき出てくる大きめの長いものかけらはしゃくっとした食感が残っていて、ビールもワインもいけるけしからん秋のつまみおかずが完成です。
馬田草織
馬田草織
文筆家・編集者・ポルトガル料理研究家。思春期真っ盛りの女子中学生と2人暮らし。最新刊「ムイトボン! ポルトガルを食べる旅」(産業編集センター)。料理とワインを気軽に楽しむ会「ポルトガル食堂」を主宰。開催日などはインスタグラムからどうぞ。
インスタグラム @badasaori

『馬田草織の塾前じゃないごはん』 毎月第2・第4火曜更新・過去の連載はこちら>>>

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