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人にまったく言わなかったので書く機会を逸していたが、この春に父を送った。母はとうに故人となっているので、これで私の親の介護は終了したことになる。
振り返ればいつも「後追い」だった。
親には申し訳ない言い方だが、三十代そこそこから、いつか来る介護は私の心に重くのしかかっていた。介護の話を耳にしては、わが家の場合どうなるだろう、どうしようと考えて思い悩んだ。
姉は小さい子がいるから、ひとり暮らしの私が介護すべき。親と同居することになるんだろうか。仕事はどうする? 働く時間がとれないと、収入は即とだえる。
公的施設に申し込んでも、会社勤めでない私は在宅介護が可能だろうと言われてしまうのか。民間の施設は、資金力のないわが家ではとてもとても……。
具体的に考えて、例えば下の世話ひとつとっても、介護者は体位交換にかかる負担で腰を痛めてしまうと聞く。ただでさえ腰痛持ちの自分にできるのか?
「できない」と頭を抱えるのが常。
できる、できないにかかわらず、現実は待ったなしである。母が心筋梗塞で入院したときは「いよいよだ!」と身構えた。退院したその日から介護がはじまることになろう。そのための準備をすべく、介護用品店へ駆け込み、商品カタログをもらってくる。取り寄せを頼んでいる間に、入院先で母は亡くなり、準備はムダというか、取り越し苦労となったのだった。
介護では、想定と違うことが違うスピードで起こるもの。
父の場合もそうだった。介護が必要になった頃は、姉はとうに子育てを終え、成人した子たちがむしろ介護の戦力になってくれた。新たな事態が発生するたび、ケアマネージャーさんに相談しながら、なんとか在宅で続けてきた。最後のひと月だけ入院したが、そのときだって退院したら市の施設に移れるよう、申請書を取り寄せたり介護認定をとり直したりの準備をしていたのだ。ことほどさように、現実が常に先に進行し、ただただついていくだけ。
介護は、備えておくべきものとのイメージがある。が、どのタイミングで何が必要になるか予想できない。走りながら対応策を探すしかないのだ。ひとことで言うなら「前もって考えても仕方ない」。
いつか来る親の介護が気になる人の心を軽くするものかどうかはわからないけれど、二人の親を送ってみての正直な感想である。
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