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郊外の駅からやや遠いところへ、法事に行ったときのこと。知人とともに駅まで戻り、くたびれた顔を見合わせ、「どこかでお茶でも飲んでいく?」「それとも食べてしまおうか」。知人が指さす看板は、定食のチェーン店。私にははじめて入る店である。
メニューを開いて驚いた。「魚のおかずが結構あるんだ」。
白身魚を大根おろし入りのつゆで煮たもののセットを頼んだ。
運ばれてきてまた驚く。「野菜も結構とれるんだ」。おろし煮そのものにも、れんこんや人参などの具。外食でとれる野菜は、申し訳程度に付いてくるサラダくらいと思っていたら根菜までも。外食に対する観念、変わった。
遅めの夕飯の時間帯。店内は会社帰りと思われるスーツ姿の若い男女でいっぱいだ。
「もし今ひとり暮らしをはじめたばかりだったら、頼りにすると思うな、ここ」
と私。栄養もとれるし、なんたって楽。
実際その晩の帰宅後は、着替えて風呂に入るだけ。スーパーで材料を買ってきて料理し後片付け、という作業が全部なくてすむ。夜の時間にゆとりができるし、疲れもとれるのではないかしら。
次の日も法事の続きで、昨夜の知人といっしょになる。帰りに二人店に入るのに、二人の間に多くの言葉は要らなかった。
私は白身魚の甘酢炒めのセットを注文。野菜や魚をとらねばと頑張って家で作っていたのは何だったのかと拍子抜けするほど。この楽さ、癖になりそうだ。
その次の日は法事はなかったけれど、仕事帰りに「あのチェーン店、うちの近くの駅前にもたしかあったな」と看板を探していった。焼き魚のセットを注文。三日続きの解放感だ。
心が軽いのと裏腹に、体は重くなってきた。便秘である。繊維はそこそことれているはずなのに、野菜と魚、野菜とご飯などのバランスが家でと微妙に違うのか。ご飯そのものも家では胚芽米や玄米だ。分量も自分でお茶碗によそうとき「今日は胃腸が活発でないな」とか「この数日、運動していないな」と無意識に加減しているのだろう。
油や調味料を、店では多く使っている感じ。おろし煮も黒酢炒めも魚をいったん揚げてあった。油を忌避して焼き魚にしたわけだが、小鉢、漬け物、ひとつひとつの味が濃い。食べ盛り、働き盛りの若い人に満足してもらうためには、仕方ないでしょうけれど。
はじめてメニューを見たときは選り取りみどりに思えたのに、意外にも三日で飽きてしまった。
デリカテッセンが最寄り駅のビルに何軒も同時オープンしたときも、そうだった。最初はあれもこれも野菜たっぷりで目が迷うほど。「こんなのできたら、家で作る必要なくなるんでは」と思ったけど、今は素通り。自分で調節できる方が、やっぱりよくて。
新聞に九十二歳の女性からの投書が載っていた。この年になったんだから「料理はもう嫌」と言っていいんだと思い、三食付きのケアハウスに入居したと。そういう選択も将来的にはありとしながら、体力の続くうちは「基本、自炊。たまの外食も可とはする」くらいで行くつもり。
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