暮らしの中でふと感じる「これってトシかも?」。困りごとや心配ごとだけでなく、大人ならではの楽しみも。おねえさん世代の岸本さんが送るリアルな「体験レポート」です。
- 声を出して歌うことってありますか。私は長いこと全然なかった。
合唱サークルには何度か誘われながら参加せずじまい。口を縦に大きく開けて、波打つような声を出す。そういう気取った発声をするのが恥ずかしく、音楽の授業でもほとんど地声で通していた。
その私が認識を改める出来事があったのです。
知人に付き添って病院へ行った。声がかすれて喉に違和感があるという。知人が「家庭の医学」のようなサイトで調べると、喉頭がんの症状に似ている。検査するのでついてきてほしいと言われて。
先生の診断は病気ではなく「声帯の萎縮です」。声帯は筋肉で、年とともに衰える。ひらたく言えば老化現象だと。
知人の後ろで聞いていた私は、意外な展開に驚いた。
- 筋肉といえば思いつくのは筋トレだ。先生によると鍛える方法はいろいろあるが、いちばん手っ取り早いのは歌うこと。それも腹式呼吸で歌うこと。歌謡曲のように鼻から息を抜いてニュアンスをつけるようなことをしない。正統派の発声で、声帯を思いきり引っ張り伸ばすようなつもりで。
知人ともども神妙に耳を傾けていた。加齢の影響はそんなところにも出てくるとは。対抗策は歌だとは。はじめて知った。
- 帰宅して見るとうちには、小学唱歌の本がたまたまある。手にとって目についた童謡を歌ってみた。
これがつらい。喉が詰まるようで、すぐにかすれ途切れてしまう。かすれる。椅子に座ってなにげなく口ずさんでみたのだが、危機感をおぼえ本格的に取り組みはじめた。
立ち上がって姿勢を正し、腹筋でもって押し出すようにする。私の言う「気取った発声」だが、照れている場合ではない。喉の力だけでは、もはや歌えなくなっている!
この年で直立して真剣に童謡を歌うことになるとは思わなかったが、これからはときどきそうして、声の老化をくい止めるつもりです。
1961年神奈川県生まれ。エッセイスト。保険会社に勤務後、中国・北京に留学。自らの闘病体験を綴った、『がんから始まる』(文春文庫)が大きな反響を呼ぶ。著書は、『ちょっと早めの老い支度』(小社)、『俳句、はじめました』(角川ソフィア文庫)、『買おうかどうか』(双葉文庫)など多数。共著に、『ひとりの老後は大丈夫?』(清流出版)がある。
- 『ちょっと早めの
老い支度』 - 50代が近づいたとき、老後の準備を考え始めたという著者が、どんなときに老いを意識し、どんな支度を始めたかを率直に綴ったエッセイ。