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俳句のことは前にも書いたが、先日また俳句関係のパーティーに出た。俳句の会の設立何十周年を祝うもので、おおぜいの会員がホテルに集まる。
はじまる前や休憩時間のトイレは賑やか。会員どうし交わす会話が聞こえている。
「あらー、お久しぶり」「お元気そうじゃない」。笑顔で抱き合う二人。七十代後半か八十代とおぼしきご婦人だ。
「そうでもないの。あちこち弱ってお医者さんのお世話にばっかりなっていて。でも俳句だけは続けようと思って、今日は頑張って出てきたの」「私もよ。これだけはね」
「だけは」のところに力をこめて言っている。
そうなのか、とうなずく私。俳句って年とってもずっと続けられる趣味なんだ。
別の会話も耳に入る。
「はじめて十年になるのに、年とるだけで全然上手くならなくて」「そんな。お若くていらっしゃるわよ」「私もう八十六になったのよ」
思わず引き算してしまった。八十六マイナス十ということは、はじめたとき七十六歳!? その年で新しいことに挑戦しようというのがすごいし、それが可能な俳句もすごい。いくつからでもはじめられる趣味なんだ。
知人の女性は会社員時代から俳句をたしなんでいたが、定年後は吟行句会に飛び回っている。句会は人と集まって締切までに句を出し、参加者どうし選び合うものだが、吟行はそれにお出かけの要素が加わる。皆でどこかを歩いて、そこにあるものを題材に句を作る。
知人の場合、勤めていた間はがまんしていたところへ、ここぞとばかりに行っている。奈良のお水取り、吉野の桜、京都の祇園祭……主要な年中行事はほぼ制覇しているのではと思われるほど。
眉間のしわが完全にとれ、会うたびに肌の色つやもよくなり、確実に若返っている。定年するといっきに老け込む人も多いのに、その人は逆。
脳の刺激には人と会って話すのがいちばんと、先日どこかで読んだ記事に書いてあった。「わー、どうしよう」とびっくりすると脳の血流量が増え、認知機能向上にもつながる可能性があるのだと。俳句はその両方を兼ね備える。句会では句を出すにも選ぶにも制限時間があるから、まさしく「わー、どうしよう」と焦るし。その上吟行をすれば足腰が鍛えられそう。
俳句以外にも似たようなものはあるだろう。私はたまたま出会った俳句を、一生の趣味として手放さずにいくつもり。
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