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「人の役に立ちたいって思いが、前よりも強くなってきた」。同世代の女性が言った。その思いにはもどかしさや、あきらめのようなものも伴っている。消防士さんとかお医者さんとか助産師さんのように、直接に人を救える職業についているわけでなし、老人ホームや仮設住宅のようなところを訪問し、楽しんでもらえるような趣味を持っているでもなし。
年をとるにつれいろんなことを経てきたからの感慨でしょうか。育児、介護、病気、事故、災害。
自分が病気をしたときは、お医者さんってすごいと思ったし、今は父のところへ訪問看護に来る人に、ほんとうに頭が下がる。排泄ケアや清拭なども嫌な顔ひとつせずにしてくれて、家族がするよりずっと上手。本人も安心で快適らしく、この頃はめったに言葉を発しない父だが、あるとき突然「この人、大好き」と訪問看護師さんに言い、家じゅう笑いに包まれた。
すごいと思うと同時に、自分が一から勉強しそうした技能を身につけるには遅すぎるとも知っている。
ちなみに私が父の家に行くのは週末。それ以外は姉と姉の子どもが介護を担っている。この前はある役職に伴う業務で、土日に出張しなければならなくなり、姉に続けて来てもらった。
行った先での私は、訪問団体のひとりとして、その場にいることがつとめ。何かを言ったり、したりすることはない。時間がとても長く感じる。同じ役職で、出張に参加していない人もいた。
自分のいるべきところは、ここではないのでは。もっとすべきことがある。断るのが許されるなら、家で介護をするんだったのに。焦燥感でいっぱいで、日曜の夜東京に帰ると一も二もなく父の家へ行く。来ない予定の私が現れ、姉は不思議そうだった。
ふだん姉に仕事の話はしないが、いっしょに買い物へ出た折りに、愚痴めいたものをつい洩らす。出張先で私はいるだけで、何をするわけでもなかった、引き受けるべきではなかったし、このためにみなに負担をかけているのが気になってしかたなかったと。姉は言った。
「でも、いるだけのことを求められるって、すごいと思うよ」
優しい、と思いました。姉は私の仕事の中味は知らない。でも励まそうとしている気持ちは、ひしひしと伝わってくる。しかも私の仕事のために自分の休みがなくなってしまった恨みは、毛ほどもないのだ。姉のこうした心根に支えられ、父の日常も私の日常も成り立っている。
特別の資格や技能や芸を持っているだけが人の役に立つことではないと、教えられた夜でした。
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