|
家具を減らす決断をした。直径一メートルほどの円形のコーヒーテーブル。古い洋館の階段の手すりのような彫りが、脚に施されているもの。父が子どもの頃から家にあったという。
はじめは処分するつもりはまったくなかった。むしろ家具がもうひとつ増える予定だった。
父の家に置いてある革張りのソファベッド。以前私が贈ったものだ。
買うときは、それはそれは力を入れた。座ってくつろげるように肘掛けがちゃんと付いていて、なおかつベッドにしたとき存分に体を伸ばせる長さがあって、疲れにくい低反発素材のもの。張る革は十色以上から選んで注文製作。うす緑と青の中間にした。明るい色で部屋のアクセントになり、それでいて落ち着いた茶色の家具にも合う。使わなくなったら私が引き取ってもいいように、自分の家のリビングの敷物や飾り物との相性まで考えた。
そういう経緯の品なので、実際父の家で不要になっても、処分なんてあり得ない。当然こちらに持ってくる気で、寸法を詳しく測る。今リビングの壁際にあるコーヒーテーブルをまん中の方へ出し、後ろにソファベッドを置くならば、「うん、なんとか入りきる」。
「でも」……われに返ってシミュレーション。そうするとリビングがまた狭くなる。今でさえ毎冬ホットカーペットを敷くのがたいへんなのだ。コーヒーテーブルを持ち上げ、ホットカーペットを足で押し込み、操作パネルにかぶらないようセンチ単位で位置をずらして。ソファベットが加わると、操作パネルは完全にその下になる。
ソファベッドがあったって、私、それに寝るだろうか? 客が来たときのため? この家に住んで十六年間、泊まりがけの客なんていっぺんも来なかった。
あの色のソファとコーヒーテーブルとでお茶したらすてき。でも、そもそもこのコーヒーテーブルでお茶したことはあったっけ? 飲むのはいつも食卓で。目にしてなごむ家具だけど、本来の用途では役に立っていないのだ。そして直径一メートルは、見て楽しむだけにしては場所を取りすぎ。
「どちらも思い出のある品。簡単に手放していいのか」というためらいもある。が、それを言い出せば、この先私はモノに埋もれた人生を送るだろう。ある程度の年になれば身辺に「思い出のない品」などひとつとてない。思い出は、モノにでなく心にあればいい。そう割り切らないと。
幸いソファベッドは姉が引き取ると言ってくれて、わが家のコーヒーテーブルもこの機会に譲ることにし、つい先日運び出したばかり。
少しさびしくはなったけど、同時にすっきりした気持ちでもある。そしてこの先、処分したのを後悔することは、たぶんないと思われる。
|