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「持たない暮らし」といったテーマの特集記事は、興味があってよく見る。ある記事はそうした暮らしを実践している室内写真を載せていた。
全体に抽象画のよう。白い壁の前にテーブルと椅子がひとつ。ものが出ていないので、壁や家具の直線が目立つ。
食器戸棚の引き出しのひとつを開け、上から撮った写真は一瞬、額縁に入った絵かと思ってしまった。まっ白な四角の中に縦に置いたスプーンが三本、等間隔で並べてある。その引き出しの中はそれだけ。
「余計なものを削ぎ落としていったら、これしか残らなかったから」
という本人のコメントが載っていた。
かっこいい。と、同時に思う。
「これって、じょうぶな人でないとできないわ」
たしかに私もよく使うスプーンに絞ったら、三本くらいになるかもしれない。が、「予備」というものが必要だ。
使ったらただちに洗う原則を絶対に守れるなら、三本で充分だろう。が、なんとなくくたびれたり、すぐには台所に立つ気が起きなかったりで、後でまとめて洗おうとシンクに放置するうちに、三本なんてあっという間に使ってしまう。
ストックというものを置かない暮らしをしている人の記事にも、同様のことを感じた。
三十代女性であるその人は、ティッシュペーパーにしても家にあるのは今使っているひと箱だけ。切れそうになったら、買いにいく。
まとめ買いでないと割高ではとの、取材者の問いに、
「何よりも高いのは家賃ですから。ストックを置く分の家賃を思えば、そのつど買った方が安い」
と答えていた。徒歩五分のところにコンビニがあり、コンビニをわが家のストックルームと考えればいいと。
理屈としてはよーくわかる。が、その五分のところへ行けないときもあるのが現実だ。風邪で節々が痛だるいとか、熱でふらふらするだとか。そしてそういう風邪のときこそ、ティッシュペーパーひと箱が信じがたいほど早く空になってしまうものなのだ。
体力や健康状態がいまひとつでも、根性で五分歩き通してしまえるのが若さかも。そうでない場合、やっぱり予備はほしいもの。
私はこの先年をとっても、かつての私の母のようにものをためておく人にはならないだろう。もののない時代に育ち、もののない苦労の身にしみている母は、紙袋の一枚までとっておいたが、私はそのへんは割り切り捨てている。
持たない暮らしを理想としつつ、最小限プラスアルファの「アルファ」の見極めが、今後の課題となりそうだ。
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