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オレンジページ40周年描きおろしエッセイ
創刊40周年を記念し、オレぺゆかりの豪華作家4名が書き下ろしエッセイを寄稿。4・5・6・7月の毎月17日に1編ずつ『オレンジページnet』で限定公開。お楽しみに!

窪美澄×オレンジぺージ創刊40周年記念書きおろしエッセイ「1985-2025」

窪美澄

『1985-2025』

1985-2025。1965年生まれの自分にとっては、20歳から60歳までの時間で、つまり、自分が一人の大人としてパチリと目を醒まして生きてきた人生のほとんど、と言っていい。

一読者として『オレンジページ』を拝読してきて、色とりどりの料理ページを参考にさまざまな料理を作った。今どきのパリッとした家庭料理(しかも費用をかけずに)を教えてくれる雑誌が『オレンジページ』だった。その覚えた料理をボーイフレンドに作ったこともある。結婚して、初めておせち料理を作ったのも『オレンジページ』の特集記事を参考にしたと記憶している。

26で結婚をして、子どもを産んで、残念ながらその子どもは生まれてすぐに病気で亡くなってしまった。それでもすぐに次の子どもを産んだものの(その子は異常なく、すくすくと育った)、経済的な事情からすぐに働く必要があった。出産前に勤めていた広告制作会社で(今なら考えられないが、出産を機に「やめるよね、当然だよね」という感じで肩を叩かれた)、広告コピーを書いたり、パンフレットの文章を書く仕事をしていたから、「ああ、そうだ、ライターになろう」と思い立った。

その頃、オレンジページで、妊娠、出産、子育てをテーマにしたムックが発売されており、「ここで仕事をしたい」と思った私は編集部に飛び込み営業をしたのだった。あのときの自分の行動力というか爆発的な力は、なんだったのだろう、と今になっても思う。

ラッキーなことに拾っていただき、ご縁ができた。それから、何年になるのだろう。初めて小説の本が出たのが、44歳のときだから、子どもが保育園に通っている頃から、中学3年の頃までの約15年間、私はオレンジページでお仕事をさせていただいたことになる。

テーマは多岐にわたるが、主には『からだの本』などで、女性の体と健康について書かせていただいた。私はその分野の専門家ではないし、そうした勉強をしてきたわけでもない。だから、取材前はいつもひやひやしていた。専門書を手に一夜漬けの勉強をして取材に挑む。取材をさせていただいた先生の言葉を、読者にもわかるようにかみ砕いて文章にする。取材では主に、漢方の先生や、産科医、婦人科医の先生にお話をお聞きしたが、当時の取材のことを思い出すと、やさしい先生方に失礼はなかったのかと、今でも背中に嫌な汗をかく。

それでも、先生たちのお話からは、常に女性の体に関する肯定感というものが伝わってきた。それまで、親からも学校でも、世の中の価値観からも、「女性の体を持っていることはどういうことなのか」という具体的な話をされたことがない。例えば、私の若い頃は「生理」について語ることすらタブーだった。取材をさせていただいた先生たちはくり返し語った。女性の体にはホルモンによってリズムができる。そのリズムが、体に心に大きな影響を与える。生理前には「性欲が高まることがある」。生理と同様に、女性が抱える性欲というものも、当時はどこか置き去りにされていた。女性が性欲を持つことは異常なことでない。それはとても当然のこと。こうした先生方の話は、私が小説を書き始めた頃のテーマとも重なっている。この当時の取材がなければ、私は女性の体や性欲について、小説に書くこともなかっただろう。女性の体について取材すればするほど、知れば知るほど、私は自由になったし、自分の体を愛おしく感じた。私が書いた小説に『すみなれたからだで』というタイトルの本があるのだけれど、このタイトルもまた、この当時、女性の体に関する取材がなければ出てこなかったと思う。

その頃書いていた記事の中心には、今の言葉でいえば、「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」というものが貫かれていたのだと思う。性や出産に関わるすべてのことにおいて、身体的にも精神的にも、そして社会的にも本人の意思が尊重され、自分らしく生きること。自分の体に関することを自分で選択し、決める権利。当時、そんなことを意識して記事を書いていたわけではないけれど、今、そこから遠く離れてみると、私が携わらせていただいた記事は、こんなテーマをやわらかな言葉で伝え続けていたのではないだろうか。

「オレンジページの仕事で嫌な目に遭ったことが一度もないです」

ライターをしていた当時のことを聞かれると、私はくり返しこう答えてしまうのだけれど、お世辞でもなく、これは本当のことだ。どの年代の編集者の皆さんも、皆が皆、生きていくことや、自分のことについて一生懸命で、つい後ろ向きになって生きてしまう私は、とても大きな影響を受けたと思う。自分自身を肯定する、というのは、何歳になってもとても難しいことだけれど、オレンジページの編集者といるときには、私の心はふわっと開いて、そして、共に仕事をしているときの時間はとても楽しいものだった。「そこにいてもよし」と言われているようだった。 

もし来世というものがあるとするのなら、私はもう一度、オレンジページに飛び込み営業をしたい。
そして、ライターとしてお仕事をしたい。紛れもなく私の本心である。
何の後ろ盾もない私が、人生の荒波に乗り出そうとするとき、オレンジページでライターをしている(していた)、という事実が、私に自信を持たせ、前へ前へと進ませてくれたからだ。

©新潮社

窪美澄(くぼみすみ)

1965年、東京生まれ。2009年「ミクマリ」で女による女のためのR-18文学賞大賞を受賞。受賞作を収録した『ふがいない僕は空を見た』が、本の雑誌が選ぶ2010年度第1位、2011年本屋大賞第2位に選出。同年、同書で山本周五郎賞を受賞。2012年第2作『晴天の迷いクジラ』で山田風太郎賞を受賞。2019年『トリニティ』で織田作之助賞受賞。2022年、『夜に星を放つ』で第167回直木賞を受賞。その他著作に『すみなれたからだで』『アニバーサリー』『よるのふくらみ』『水やりはいつも深夜だけど』『やめるときも、すこやかなるときも』『じっと手を見る』『朔が満ちる』などがある。

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