
「けえけえ(食べな食べな)」「くうくう(食べる食べる)」盛岡在住の作家・くどうれいんさんが、おいしいもの好きなみなさんにお届けする、食エッセイです。
【くどうれいん人気食エッセイ連載】vol.10 とろろたらこ温泉たまごご飯
岩手県平泉の毛越寺(もうつうじ)で行われる曲水の宴(ごくすいのえん)という催し物に、袿(うちぎ)という装束をまとって参宴することが決まってからというもの、わたしは緊張していた。岩手では、いや、全国的にもとても珍しいこの行事には毎年注目が集まっており、そこで貴重な装束をまとって和歌を詠むのだから、芥川賞候補になったときとおなじくらいに緊張してしまうのも無理はない。平安絵巻から飛び出してきたような雅な世界と時間の中に身を置くことの興奮が止まなかった。
前日から毛越寺入りをして衣装合わせやリハーサルを行い、毛越寺から近い平泉温泉元湯 ホテル武蔵坊にて懇親会と宿泊と手厚いおもてなしである。懇親会ではいわて門崎丑(かんざきうし)のしゃぶしゃぶや一関名物のお餅を使ったグラタン、南部煎餅入りの茶碗蒸しなど、郷土色に溢れるお料理が並び大変うれしい。わたしは地の物を使ったお料理に目がないので、どれもよろこんでたくさんいただいた。
翌日朝、緊張しすぎて心が裏返りそうになりながらの朝食を迎えた。武蔵坊の朝食はクラシックな和食中心のバイキング。普段ならお盆いっぱいにのせたいところだったけれど、この日ばかりは装束を着て五時間ほどお手洗いに行けないこともあり、食べすぎてしまうのが怖くて控えめにした。
それでも何かテンションの上がるもの、元気の出そうなものは食べなければと思ったとき、目の前にとろろを発見し、涙が出そうになる。わたしはとろろご飯が大好物なのだ。ご飯を小盛りにしてもらい、そこにとろろをたっぷりとかける。それからそこにたらこをのせ、温泉たまごも取った。席について殻を割り、とろろとたらこの上に温泉たまごをのせて、それをみんな混ぜてお醤油をたらしていただく。これがもう、おいしくてたまらなかった。たらこの塩味と温泉たまごのまろやかさがとろろの光沢に混ざってつるつると入ってくる。うまい。緊張してこわばっている頭と心を「だいじょうぶよ」と揉みほぐしてくれるようだ。「はあ」と思わず声が漏れる。
「わたしの好きな食べものは、きょうからとろろたらこ温泉たまごご飯です」
付き添いで来てくれていた夫は、わたしの表情を見て(ああ、疲れているんだろうな、緊張して参っているな)と哀れに思ったろうが「好きなものが食べられてよかったね」とほほえんでくれた。実際わたしは極度の緊張状態だったと思う。食べながらちょっとだけ泣きそうだったのだから。とろろおいしい。たらこおいしい。温泉たまごおいしい。ご飯おいしい。お茶碗をうやうやしく持ったまま完食した。何も喉を通らないと思うようなときに、わたしにはとろろたらこ温泉たまごご飯がある。あたたかいご飯がからだに収まるとちょっとだけ安心して、どうしようもない緊張がすこしだけ(がんばらなくちゃ)という気持ちに変わった。
無事に役を果たし、美しく雅な夢のような時間は始まってしまえばあっという間に終わってしまった。正絹(しょうけん)の装束の軽やかで凜とした着心地を名残惜しく感じながらその日のことを思い返すとき、そこにはわたしを助けてくれた朝ごはんの白いひかりがある。
著者プロフィール

くどうれいん
作家。1994年生まれ。岩手県盛岡市出身・在住。著書に『氷柱の声』(講談社)、『桃を煮るひと』(ミシマ社)など。エッセイ集『湯気を食べる』(小社)は、第12 回料理レシピ本大賞【料理部門】「入賞」を受賞。

文/くどう れいん イラスト/秋山 花 デザイン/広瀬 匡(FEZ)










