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オレペエディターブログ

母の10年日記が教えてくれた、母になるということ――初めての妊娠・出産・育児で見えた世界

みなさまこんにちは!オレぺエディター3期生のさやです。

私ごとですが、今年の11月に第一子を出産しました。

今回は第一子妊娠から出産までの体験記、そして出産を終えてからの心情や気づきを皆さんに共有できればと思います。

妊娠発覚

妊娠に気付いたのは今年の春頃、大分旅行をしている時でした。2泊3日の旅行の最終日、軽い吐き気のようなものを感じたのです。美味しいものをとことん食べまくるぞ!と決めた旅行だったので、どうせ朝食を食べ過ぎただけだろうと、と気にせずお昼には唐揚げ定食を胃に押し込みました。けれどやはり調子がおかしいので、旅行から帰った後に病院に行ったところ妊娠が発覚。そこから妊娠生活がスタートしました。

それ以降、2ヶ月ほど軽いつわりが続きました。ご飯は全般的に受け付けなくなり、特に甘いものやクリーム系のもったりした食事は食べることができませんでした。唯一食べたいと思ったのは、麺類とレモンでした。

ちなみに「酸味のあるものを求める人は男の子、甘いものを求める人は女の子を生む」というジンクスがあるようですが、結果として生まれてきたのは女の子でした。笑

そうこうしているうちにつわりも落ち着き、食欲も少しずつ回復し、同僚や友人、家族と食事を楽しく囲める日が戻ってきました。

私の人生にとって「美味しいものを食べること」は欠かせないことで、美味しいものを食べて美味しいと感じられる日常が舞い戻ったことに、改めて幸せを感じました。

つわりが治まった後は、元気にお出かけをし、旅行にもたくさん行き(閉幕間際の大阪万博(レポートはこちら)にも)、と世の中の妊婦さんの中でもおそらく私は元気なタイプの妊婦だったのだろうと思います。(実際周りからも妊婦には思えないくらいアクティブだねと言われていました。)

妊娠後期に里帰り

里帰り出産を予定していたので、出産前に地元の香川県に帰省しました。

その際も変わらずアクティブに、瀬戸内海の直島に行ったり(直島レポートはこちら)、一度東京に戻って友人の結婚式に参列したり、美術館巡りをしたりと、充実した日々を過ごしていました。毎日平均2時間以上はお散歩をしていたように思います。

体重変動についてお話しすると、元々標準体型に該当し、妊娠中の適性体重は妊娠前+10〜13kgとあるのですが、私の場合+4kg弱にとどまりました。

適正体重を下回っていることに不安を覚え、妊婦健診の際、助産師さんに体重について問題ないか確認するも、むしろ体重管理ができていて素晴らしいです!と褒められる結果に。世の中の妊婦の方であまり体重が増えないと悩まれている方、そんなに増えなくても気にしなくて良いそうなのでご参考になれば幸いです。

いよいよ出産、そして男性の役割

本当にいつ産まれるんだろう、全く予兆がないなと思っていた矢先、予定日よりも1週間以上早く陣痛がやってきました。

出産は体力勝負と聞いていたので、母親の作った健康的なご飯をなんとか完食し(陣痛が弱まるタイミングでご飯をかきこんでいました)、病院に向かうと、子宮口は1センチしかまだ開いていないとのこと。けれど赤ちゃんの頭が見えること、明日には産まれるだろう、とのことで入院が決まり、ひたすら病院の陣痛室で10分間隔で襲ってくる陣痛に夜通し耐えながら朝を迎えました。

時間をかけてなんとか食べ終えた夜ご飯。カマス、ワサビ菜、人参の葉っぱの天ぷら、かぶら漬け、レンコンと人参のきんぴら、豚汁、むかごご飯。

朝ごはんが運ばれてくるも、吐き気を催していたこともあり、全く食べることができず(病院の皆様ごめんなさい)、結局持参していたバナナを一本なんとか食べ、出産に挑むことになりました。

食べきれなかった朝ごはんたち

立ち会い出産を予定していたので、夫が合流し、陣痛と戦う私をサポートしてくれました。

出産にあたり男性ができることって限られると思うのですが、個人的に思うのは、女性に対する「言葉かけ」が1番大切なのではと考えています。

私が今回夫からかけられて嬉しかった言葉が二つあります。

一つは、陣痛の痛みによって一心不乱になり、見た目もボロボロな私にふとかけてくれた、「こんな時でも可愛いねえ」という言葉。夫の口からまさかこんな言葉が出るなんて!とびっくりしつつとても嬉しかったです。痛みに耐えるのに必死でうまく反応できませんでしたが、この先ずっと忘れられない言葉です。

二つ目は、出産を終えた後にLINEで送ってくれた「さや、本当にお疲れ様。ありがとう」という言葉。

赤ちゃんを産み終えた瞬間に涙を流す人もいると聞いたことがありますが、私の場合、とにかく痛みから解放されて良かったという気持ちが1番で、更にこの赤くて小さい生き物は私から産まれてきたのか?と感動よりも不思議な気持ちが強く、涙は流れませんでした。

ですが出産後、スマートフォンを開いてLINEを見た時、夫からのこのメッセージを見た時初めて目に涙が溜まりました。シンプルな言葉ですが、出産という大仕事を終えた女性に感謝の言葉はグッとくるものがあると思います。

育児スタート、そして気づいたこと

出産を終えてからは、世の中のお母さん達を全力で尊敬する日々を過ごしています。

産んだ後が大変とは聞いていましたが、夜間授乳がこんなに大変(3時間毎というのは幻で1時間、2時間毎はザラにある)とは思ってもみませんでした。けれど大変な中にも気づきがありました。

例えば里帰り中、夜間授乳をしていたときのこと。父親が夜中に何度かお手洗いなどで起きていたり、朝5時頃には起床しシャワーを浴びて、6時にはテレビ体操で体を動かしていました。夜間授乳をしていなければ、このような父親の日常を知ることはありませんでした。

そして先日テレビを見ていたら、毎朝2時起きでお豆腐作りをしている店主の方が特集されていました。

里帰り先から帰ってきた今は、夜間授乳中に「お父さんはもう起きて活動し始めているなあ」、「お豆腐屋さんはすっかり起きて働き始めているなあ」と深夜や明け方に思いを馳せています。そうすると自然と、自分は1人じゃない、頑張ろう、と活力をもらえます。

また、夜中はとても静かですが、耳をすませば外で車が走る音が聞こえてきます。こんな時間に働いている人もいることに気づくと、「深夜に働いている方、お疲れ様です」と見知らぬ人を労う気持ちまで生まれてきました。

育児中は何かと抱え込んでしんどさを覚えることがありますが、一呼吸おいて周りを見渡せば、一緒に頑張っている仲間がいることに気づきます。辛い時こそ周りを見渡すことが大事なのだと気づく里帰り出産でした。

母親と10年日記

そして里帰り出産中、誰よりもお世話になったのは紛れもなく母親でした。

良い母乳が出ますようにと、なるだけオーガニックな食材で、バランスの取れた美味しいご飯を毎食作ってくれた母親。その気遣いが本当に嬉しかったです。母親のおかげで、これまで以上に、自分が口にするものへの感度が高まるようになりました。

そんな中でも特に嬉しかったのは、母親が書いていた10年日記の存在でした。

1992年から2001年の10年間、1日も欠かすことなく綴られた10年日記。まず母親が日記を書いていたことを知らず、更に10年間もそれを続けていたことに純粋に驚きました。

里帰り中、母親と会話をしていると、何気なく日記の話が出て、私が生まれた日のことを書いていると思う、というので、その日のページを見せてもらいました。

1日に4行ほど、綺麗な字でみっちりと、その日の出来事が淡々と綴られていました。

その日食べたもの、陣痛が始まってお風呂とご飯を済ませて病院に行ったこと、おじいちゃんが病院まで送ってくれたこと、等々。

記憶から抜けていても、日記を読み返すと思い出す記憶もあったりします。一緒に見返しながら昔に思いを馳せる時間はとても楽しく、当時の様子を知れて、本当に嬉しかったです。

自分がされて嬉しかったことを自分の子供にもしてあげたい。母親に触発されて、私も同じ出版社から出ている10年日記を購入してみました。

普段私は1日1ページある手帳を使っていて、そこに毎日日記を書いていました。来年からは、手帳には自分の心の揺れ動きや、その日の学びを書き記し、10年日記にはその日の出来事を事実ベースで淡々と書き記す、という使い分けをしようと考えています。

来年の一月からスタートする10年日記。どんな10年を刻んでいくのか、わくわくが止まりません。そして将来子どもが大きくなった時に読み返す時間がこれから楽しみです。

長文にはなりましたが読んでくださりありがとうございました。

皆さま良いお年を、そして素敵な2026年となりますように。

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さや(東京) サヤ

オレペエディター

香川出身、東京在住の会社員。食へのこだわりが強い夫婦で二人暮らし。作るのも食べに行くのも大好き。趣味は茶道、合唱、美術鑑賞、旅行。隙間時間があれば食に関する調べ物をしてしまう、食に取り憑かれし存在。

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