
【ボリビアでインフェクション】郷に入っては郷に従え、だがしかし、生肉は喰うべからず③

ウユニ塩湖に行った人で、ウユニ塩湖見てないの私だけな気がする
ウユニ塩湖に向かう道中、またもや私のお腹が暴れ出します。

「あかん…お腹痛い…下す…」
とはいえ周りはもう氷結した塩湖。
どこを見渡しても塩湖。



大自然の中にトイレなんてあるわけありません。
真っ白な雪の上に茶色いしみを作るか耐えるかの二択を迫られます。
ええもう、必死の覚悟で耐えました。
既婚とはいえ、さすがにウユニの雪原に大をするのは人間としてのなにかを失うと思ったので
恐らく人生で一番がんばったというくらいにがんばりました。
せっかく塩湖の上を走っているのに目を開けることすらできず、延々と肛門括約筋に「締めろ!!!」と指示を出し続けました。
もうね、ほぼ記憶ないレベルで辛かったです。笑
ウユニ塩湖にいるのに、一切塩湖を見ていない。
そんな人が、他国からの観光客で果たして存在するのでしょうか?
(日本⇔ウユニは40時間くらいかかるんですよ…)
トイレはオープンスタイル
どれくらい走ったことでしょう。
塩湖の上に建物が現れます。
「ここにはトイレがあるから」とガイドさんが止まってくれ、私は一目散にトイレへ駆け込みます。
トイレットペーパー有料?!いやいいよもう何万円でも買うよ!!!
え?扉に鍵なし?!上から覗き込める扉の低さ?!いやいいよもうなんでも!
*ウユニ塩湖のトイレは環境保護のため資源は有料。犯罪防止のためか個室にカギはなく、便をしてても誰でも開けられるスタイルです。扉は、外の人と目が合うくらいの低さでした。
そんなこんなで精魂尽き果てるような下痢を終え、車に戻ると
池ちゃんはガイドさんと楽しそうに写真を撮っていました。

ああ、私の分まで楽しんでおくれ…写真を撮りまくっておくれ…それが本来あるべきウユニに来た者の姿…と車に倒れ込みました。
大人気のホテル ドゥ サル ルナ サラダに到着
ウユニ塩湖の目の前の、すぐに塩湖に行けることで有名なホテルに到着し、私はベッドに倒れ込みました。
ずっとずっと泊まってみたかった、塩でできたホテル。
ウユニと言えばここ!なウユニ塩湖の畔に建つ有名なホテル。
残念ながら、まったく記憶にないくらい
床に伏しておりました…。ホテルの内装なんて見る余裕がなかった…。
ウユニ塩湖での写真撮影や星空ツアーに行く池ちゃんを見送り、日がな一日、ベットとトイレの往復の日々がはじまります。



ウユニのホテル二泊目の夜、ついに嘔吐も始まり、そこからは悪化の一途。
腹痛、止まらない下痢、水も戻してしまうような嘔吐、脱水、発熱、手指の痺れ、関節痛、立ちくらみ、目眩、呼吸困難…下痢や嘔吐といった消化器症状に加え、発熱や関節痛、呼吸困難が始まったのです。
脱水なのに嘔吐してしまい水が飲めないうえ、息が本当に吸えなくなって(きっと高山病も併発していました)夜も全く眠れません。
フロントに訴えても「高山病でしょう」と酸素ボンベを貸してくれるのみ。
タフな私もさすがに命の危機を感じて、夜中にガイドさんにヘルプを出し、次の日の朝ウユニの街にある大きな病院に搬送されました(移動中はエチケット袋をかかえてひたすら酸素を吸っていました。ホテルから病院が遠かった…。なお、辛すぎてほぼ記憶はありません)。
ボリビアの地で病院に
到着した病院は「本当にここが大きな病院?!」というくらい寂れていて(ホラー映画に出てくるような廃墟感)不安が増大します。
お腹が痛くてトイレに駆け込むも、床には血や汚物のついたトイレットペーパーが散乱(ボリビアではトイレットペーパーは水に流せないのでゴミ箱に入れます。そのゴミ箱が溢れかえり、床一面凄まじい状態だったのです)それよりなにより便座がない。
いやもう、どう座ればええねん!!!!!!落ちるがな!!!!!!!
意識朦朧とするくらいの病人の私ですら突っ込まずにはいられない状況に混乱しつつも
どうにかこうにか用を足しました。どうやってしたかは覚えていません。
そして、拭こうとしたらトイレットペーパーはありませんでした。どうやって拭いたかも覚えていません。
その後、診察室のベッドへ連れられるとなぜかお腹をベルトで固定されます。
部屋とも呼べない、カーテンで仕切られただけの他の部屋から何語かわからない患者さんたちの叫び声が聞こえてきます。
「ああもう終わった」となんとなく悟りを開いた瞬間でした。
その後、聞き取れるわけのない早口のスペイン語で色々説明され、触られ、血圧測られ、「めっちゃ低!!!」と驚かれ、医師たちがワラワラと群がってきて、押さえつけられて採血。そして採尿。
その後、痛すぎる点滴を2本。
日本で点滴は何度も経験してるけどなんでこんなに血管痛いねん?!?!というような痛みでした。
血管が熱い。体が変。
まあもう、なんせ悟りを開いているし、言葉は通じないし、抵抗する余力は残されていなかったので、されるがまま病院で長い時間を過ごし、その日を終えました。
硬いベッドで痛みと共に過ごしたあの日のこと、私は永遠に忘れないでしょう。
暗い部屋、叫び声、飛び交うスペイン語、便座とトイレットペーパーのないトイレ、痛い点滴、全てがトラウマです。
その日は入院も検討したようですが、薬がたくさん出てホテルへの帰宅が許可されました。
(処方薬は1種類だよ、と言われたのに、いろんな薬があったのもいい思い出)
診断結果は「インフェクション=感染」。
結果を書いた紙には「インフェクション&高山病」と書かれていました(日本人向けガイドさんが翻訳してくれた)。
郷に入っては郷に従え、もほどほどに



郷に入っては郷に従え!食べ物を無駄にしたらあかん!
と半生の牛ハツを食べた結果、私はウユニ塩湖に行ったにも関わらず、塩湖を一切見ない、ボリビアの地で病院に、という経験をしてしまいました。
現地の人は、その土地のものを食べ、ある程度耐性がついています。腸内フローラも異なるでしょう。
旅でさまざまな経験をしたい、現地の人が食べているような本場の味を知りたい、という気持ちも大切ですが、管理栄養士の基本である「衛生管理」は、なによりも優先させるべきだと身をもって学びました。一生の教訓です。
みなさんは、思い出に残っている食体験はありますか?
食には「栄養」活動以外にもさまざまな役割があります。このような豊かな食に感謝して、今日もおいしくたのしく過ごしましょうね◎
ここまでお読みいただきありがとうございました。
また次の記事でお会いしましょう!