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柚木麻子の「拝啓、小林カツ代様」~令和のジュリー&ジュリア~
人気作家・柚木麻子さんが昭和の料理研究家・小林カツ代さんを語る食エッセイ。映画「ジュリー&ジュリア」ばりに往年のカツ代さんレシピを作り、奮闘します。コロナ禍ですっかり料理嫌いになった柚木さんが、辿り着く先はーー?

【柚木麻子新連載】「コロナ禍で料理嫌いになった41歳作家が、小林カツ代さんレシピで人生変えたい件」

2023.05.27

小林カツ代さんレシピ「おにぎりでパーティー」

第1回「41歳作家が、小林カツ代さんレシピで人生変わりたい件。」

食が出てくる小説やエッセイをよく書くせいで、料理好きだと思われるが、2023年の今、ぜんぜん違う。コロナ禍を経て、私は料理および家事がすっかり嫌いになってしまったのだ。

去年刊行した拙著『とりあえずお湯わかせ』を読んでいただいた方はご理解いただけると思うが、2020年から2022年の間、私は肺疾患のせいもあって、幼児とほぼずっと家の中で過ごしてきた。少しでも子どもを面白がらせるために、そして自分の気を紛らわすために、この世界の料理という料理はすべて作った。
琥珀糖、蘇、ちぎりパンなどの流行りものはもちろんのこと、有名レストランが自粛中の顧客のために公開した秘伝レシピはみんな作った。カフェも居酒屋も夏祭りもマクドナルドもディズニーランドも回転寿司も、メディアで推奨される「おうち~~」はすべて実行に移した。


そして、ようやく世間の自粛も緩み始めた今年。私たちはモグラのように外に出始めるようになる。外食や旅行、友人の家に行き来する習慣をおそるおそる再開した。足が遠のいていた間にすっかり進化していたファミレスに目を見張った。数年ぶりに会った友達が私たちのために作ってくれるカレーやたこ焼きの優しい味わいに感動した。知らない土地の新鮮な海産物や純喫茶の美しいサンドイッチに胸が打ち震えた。うち以外の味ってなんて魅力的で、刺激的で、飽きがこないんだろうか! 他人の作った料理は全部、最高!


もう、うちの味には単純に飽きた。家族もまた、そう思っているのがありありわかる。そんなわけで、私は家族を引きつれて、隙あらば外食したり遠出をするようになった。もちろん、毎日というわけにはいかないので、一応自炊らしきものもやるにはやるが最低限のミニマム調理。ご飯を炊き、豆腐か大根で味噌汁をしぶしぶ作り、青い野菜を茹で、プチトマトかアボカドを添え、魚か肉を適当に焼き、市販のタレと醤油とワサビと塩とポッカレモンを食卓に出す。味付けは各自お好きにどうぞ。そこに納豆なり豆腐なり茹で卵なり、たんぱく質を添える。それで十分だよ、という意見もあるだろうが、私は必要に駆られてイヤイヤやっているので、これだけで精神が死んでいくのがわかる。

もう一つ料理がイヤになった原因として、六歳になる子どもの好き嫌いが激しいせいもある。それに加えて自粛期間中、私の作る味ばかりだったため、解禁となってから子どももまた、チェーン店のからあげやお店の焼肉のしびれるような甘辛味に夢中になってしまった。ありとあらゆる手を尽くしたものの、野菜を食べさせることはもうあきらめたので、肉と白米さえ食べてくれればもういい、私も昔は同じようなものだったしーー。

ねえ、だったら、今夜も焼肉食べ放題でよくない⁉

と、こんな具合で、相変わらず食べることは好きだが、今の私は極力キッチンから遠ざかっていたい。自炊するくらいならマクドナルドに行きたい。子どもも喜ぶし。ハッピーセットもつくし。


小学校の頃は「わかったさん」や「こまったさん」、テレビ番組「ひとりでできるもん!」「モグモグGOMBO」に影響され、すすんでキッチンに立ちたがった私とは? 高校時代はお菓子を焼くのが大好きで、日曜日に焼いたパウンドケーキやクッキーをラッピングして月曜日に学校に得意満面でもっていった私とは? 社会人になってからはフランス料理教室に通い、白アスパラガスのゼリー寄せの突き出しからイチゴのタルトまで、フルコースを手作りした私。あれはぜんぶ本当に私だったのだろうか?


前置きが長くなったが、かつて愛読していた『オレンジページ』さんから食に関するエッセイというお題で依頼を受けた時、心に湧き上がったのは「すみません、もう、三年前の私じゃないんです」だった。と同時に「でも、やっぱり、また料理を好きになりたいかもしれない」という願望にも気づき、われながら戸惑った。別に、外食が後ろめたいとか、外食より自炊がえらいといいたいわけではない。外食は素晴らしい。お金が続くならもっとしたい。さらに、市販の安価なお惣菜や冷凍食品の美味しさにはこの数年、助けられっぱなしだった。

これは単に私の性分の問題なのだと思う。


料理が楽しかった頃、私は生き生きしていたと思う。人をうちに招くのが好きで、ゆえに人との垣根が低かった。スーパーマーケットや商店街を歩くと、あれも作ろうこれも作ろうと楽しかった。小説やドラマや映画で見た美味しそうなものは必ず再現してきたので、その分、フィクションにのめりこめた。食に限らず、いろんなひらめきを実行に移すエネルギーがあった。失敗しても落ち込まず、常に次の食事が楽しみであった。フットワークが軽かった。


前置きが長くなったが、私はこの連載を通じて、また料理好きになりたい、ひいては、コロナで奪われた、主体的に人生を楽しむ力を取り戻したい。この数年でいろんなことに臆病になってしまったというか、おっくうになってしまったのは多分、私だけではないのではないか。

四十一歳の私は今、猛烈に強くなりたいのである。

その時、頭に浮かんだのは、大好きなエッセイ『ジュリー&ジュリア』だ。映画化もされた名著で、人生に自信がもてないブロガーのジュリーが、アメリカの伝説的な料理研究家・ジュリア・チャイルドのレシピをすべて再現することで、自分を変えようと奮闘し、発見に満ちた日々を送る、エキサイティングな成長の記録だ。私もジュリーと同じことをやってみたい。知らない誰かのレシピを再現することで、ここではない場所に思いを馳せ、社会の変化や女性が切り開いてきた道のりを考え、その人の知恵や強さを自分のものにしてしまいたい。

さて、日本のジュリア・チャイルドとは誰だろうか。このお題を投げられた時、約八割以上の日本人があの明るい笑顔とエッジのきいたデザインのエプロンを思い浮かべるのではないだろうか。

そう、小林カツ代(1937~2014)だ。

改めてこの名前をじっくり眺めてほしい。小林カツ代。こんなに食欲がわき、ジューシーでほがらかで、なおかつ圧倒的に強そうな名前、ほかにちょっとない。名前だけじゃない、本人もめっちゃくちゃに強い。その伝説を箇条書きにしただけで、『ジャンプ』の主人公とか「マーベル」のキャラクターを彷彿とさせる。


*デビューのきっかけは、主婦時代、たまたまテレビ番組を見ていた時に、「私ならこうするのになあ」と思いアイデアをテレビ局に投書したら、そのユニークさを買われ、番組に出ないかとスカウトされ、即レギュラーになる。

*平和なくしては食は語れず、のポリシーを貫き、反戦活動をしていたら、事務所が毎日、騒音の嫌がらせを受けることになる。しかし、「なにあれ?」と受け流し、通報することもまともに取り合うこともなかった。

*「料理の鉄人」に出演した時に、「料理人」ではなく「主婦」と紹介されることに激怒し、直前までプロデューサーと大げんか。しかし、カツ代さんが登場した瞬間、陳建一はその日の負けを確信したらしい。

*さる俳優が立ち上げた男性コーラス部を見て、自分も同じことをやって動物愛護のチャリティ活動にしようと思いつき、知り合いという知り合い全員に電話をかけて、たった一日で神楽坂女声合唱団を立ち上げる。メンバーは土井たか子、コシノジュンコ、辻元清美、福島瑞穂、倍賞千恵子、山田邦子、上野陽子などなど。

*家庭料理を切り開いてきたレジェンドながら、口癖は「料理は愛情ではない」。時間をかけた料理以外認められなかった時代、先進的なレシピで働く女性たちを救い、女性の社会進出を大きく後押しした。さらに、お子さんのケンタロウさんの功績をみてもわかるように、女性だけに家事を担わせる風潮にもNOを突きつけた。


私が彼女に惹かれる理由は、その一貫したブレない姿勢、美味しそうな料理、チャーミングなキャラクターだけではない。カツ代さんが常にとても楽しそうだということだ。いつも目がきらきらしていて、笑う時は口を開けている。パワフルだけど、まったく圧がない。見ているこっちまで楽しくなってくる。ちょっと腰をあげて、料理してみようという気持ちになる。四十代になってわかってきたことがある。楽しめる人が一番強い。どんなことでも自分のフィールドに引き寄せ、常にユーモアを挟む知性と余裕を残しているからだ。

編集部に企画をプレゼンしてみたところ、好感触だったので、私はせっせとカツ代さんのレシピやエッセイを買い漁る。 最初に作ってみたのは『小林カツ代のざっくらばらんにおもてなし』(1995年・NHK出版)の中の「おにぎりパーティー」のメニューだ。野沢菜やとろろこんぶをまぶしたいろんなおにぎりに、江戸前風の卵焼き、切り干し大根に、市販の漬物のもりあわせ、あとは熱い番茶で十分にみんな満足するし、盛り上がる、と書いてある。文字通りガチのざっくばらん、この当時の「おもてなし」の感覚としては相当画期的だ。さっそく数年ぶりに友達らに遊びに来るよう声をかけ、家を夢中で片付けた。切り干し大根だけは煮ておいたが、おにぎりはご飯が炊き上がらないかぎり作れないので、ほぼ開始一時間前からの準備で済んだ。写真を見てもわかるように、やる気なく台所に立っていた日々が続いたせいで、卵焼きは焦げてしまい、おにぎりはいびつ。以前はしょっちゅう友達に手料理を振舞っていたけれど、この三年間、家族以外をうちに招いて何かを作ったことはないのであきらかにカンがにぶっている。しかし、結果は大好評で、米六合があっという間にはけ、なにより話が弾んだ。私は何を身構えていたのだろう、と目が醒めるような気持ちになった。おもてなしとは、友達が来てくれればほぼ目的が達成されたようなものなのに、それ以上の何かを起こさなければいけないと、勝手に身構えていたのだ。


連載スタートに先駆け、カツ代さんの弟子一号であり、生前の彼女を支えてきた料理家、本田明子さんとお話しさせていただくことが叶った。この連載の企画タイトルをみた時、本田さんはなにか運命的なものを感じたそうだ。というのも、

「アメリカのサンタバーバラでカツ代ちゃん(小林カツ代スタジオのスタッフは今、親しみを込めて彼女をこう呼ぶ)が仕事をすることになった時、現地の人に『カツ代さんは日本のジュリア・チャイルドです』と紹介された。そのことを思い出した」

と、懐かしそうに話してくれた。その瞬間、作家のアンテナがピンと立ちあがった

おそらくこの連載が終わる頃、私は本当に強くなれる


今回の小林カツ代さんレシピ

※「小林カツ代のざっくらばらんにおもてなし」(1995年・NHK出版)より引用
「ひなびた煮ものもつけて。おにぎりでパーティー」
おにぎりは小さく握ると色々食べられてうれしい。煮ものに卵焼きとありきたりの取り合わせだけれど、ホッと心がなごみそう。熱いほうじ茶か番茶も忘れずにつけてね。

中に入る具と、包むものの組み合わせはご自由に。チョコンと入っている具をのせるのが迷わない目印です。

『お好みおにぎり』のレシピ

材料(4~5人前)
熱いご飯……米カップ5杯分(5合)
〈中に入れるもの〉
梅干し、塩ざけ、たらこ、明太子、おかか・昆布のつくだ煮など好みのもの……各適宜
〈包むもの〉
焼きのり、とろろ昆布、おぼろ昆布、高菜漬けなど好みのもの……各適宜

●下ごしらえ
梅干しは、種を除いて小さくちぎる。小梅ならそのままでも/塩ざけは焼いて皮と骨を取り、粗めにほぐす。たらこといっしょにゆでてほぐしても/たらこは熱湯で火が通るまでゆで、冷めたら粗めにほぐす/明太子は薄皮を取ってほぐす。辛いのが好きなら薄皮ごと小さく切る/おかかは削り節にしょうゆを混ぜる。いりごまを混ぜても/昆布のつくだ煮の大きいものは細切りに。じゃこや葉とうがらしのつくだ煮でも。

作り方
(1)米はいつもどおりの水加減で炊く。米カップ1杯分(1合)で3~4個のおにぎりが目安。
(2)中の具は下ごしらえをし、包むのり、高菜漬けは包みやすく切っておく。
(3)手のひらを水で軽くぬらして塩少々をつけ、熱いごはんをのせる。中に入る具を真ん中にキュッと埋め込んでご飯をかぶせる。
(4)ホッホッとリズムを取りながら三角か丸に握り、好みの材料で包む。


おふくろ味の煮ものは作れそうで作れない。だから、みんなの熱いまなざしが集まるよ、きっと。

「切り干し大根の煮もの」のレシピ

材料(4~5人前)
切り干し大根……1カップ(50g)
にんじん……小1/2本
油揚げ……1枚
だし……1と1/2カップ
サラダ油、薄口しょうゆ

作り方
(1)切り干し大根は水につけて戻し、つけ汁ごと火にかける。フツフツしたら火を弱めて10分間ほどゆで、ざるに取って水けをきり、少しさましてから食べやすく切る。
(2)にんじんは5~6cm長さのせん切り、油揚げは水洗いして絞り、幅を半分にして細切りにする。
(3)なべを熱してサラダ油大さじ1/2をなじませ、(1)、(2)を入れていためる。全体が熱くなるぐらいでだし、薄口しょうゆ大さじ1を加え、ふたをして中火で汁けがなくなるまで煮る。


おにぎりとくれば、やっぱりこれがなくては。江戸前風の厚焼き玉子です。

「甘辛卵焼き」のレシピ

材料(4~5人前)
卵……4個
〈A〉
 砂糖、みりん……各大さじ1
 薄口しょうゆ……小さじ1
 塩……1つまみ
ごま油

作り方
(1)卵を溶きほぐし、Aを加えて混ぜる。卵焼き器を熱してごま油を薄くひき、卵液を1/3量流して全体に回す。箸でざっと混ぜ、周りがプクプク固まってきたら向こう側からクルクル巻き、また油を薄く塗る。
(2) 巻いた卵を向こう側に寄せ、手前に残りの卵液を半量流す。向こう側を持ち上げて下にも流し込む。周りが固まってきたら巻いた卵を芯にして手前にクルクル巻く。
(3)残りの半量の卵液も同様にして巻き、最後は弱火にして焼き目をつけ、少し冷ましてから切る。


「漬けもの」のレシピ

市販品、自家製とあり合わせのものを刻んで盛り合わせます。


次回は6/24(土)更新! お楽しみに。


柚木麻子(ゆずき あさこ)
2008年「フォーゲットミー、ノットブルー」でオール讀物新人賞を受賞し、10年に同作を含む『終点のあの子』でデビュー。15年『ナイルパーチの女子会』で山本周五郎賞を受賞。著書に『私にふさわしいホテル』『ランチのアッコちゃん』『伊藤くん A to E』『マジカルグランマ』『BUTTER』『らんたん』『とりあえずお湯わかせ』『オール・ノット』など多数。 毎月第4土曜日更新・過去の連載はこちら

文・写真/柚木麻子 イラスト/澁谷玲子 プロフィール写真/イナガキジュンヤ  取材協力/(株)小林カツ代キッチンスタジオ、本田明子

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