
「けえけえ(食べな食べな)」「くうくう(食べる食べる)」盛岡在住の作家・くどうれいんさんが、おいしいもの好きなみなさんにお届けする、食エッセイです。
vol.1 まんつ、け!
祖母と一緒に暮らしていた数年、わたしと弟はよくそう言われていた。いいから早く食べなさい、という意味である。なんと「け」という一文字で「食べなさい」という意味だ。テレビに夢中になって夕飯に箸をつけようとしないわたしたちに呆れたように祖母はそう言ったが、一番テレビに夢中なのは祖父だった。水戸黄門や相撲を見始めると、祖父はぽかーんと入れ歯の入った口を開けたまま箸を持って固まる。「けえてば(食べなさいってば)」と言われた祖父は決まって慌てて「く!」と答えた。
「け」は「けぇ」とも言い、直訳すれば「食え」だけれど、もっと(お食べ)という温かさがあるし、「く」も「くぅ」でもあり、つまり「食う」だけれど、(食べますってば)というおどけた感じがする。祖母が「けぇ」と言い祖父が「くぅ」と答えるのを何度も見ながら、しぶしぶ夕飯に手をつけた。祖母は保育園の給食のおばちゃんだったけれど、家で彼女が作る料理がおいしかった記憶はあまりない。すべてのものがとことん煮込まれていて、味が薄かったのだ。わたしが小さな頃から自炊をはじめたのも、自分の好みの味を食べたいという欲求が無関係ではないと思う。
先日、夫と共に東北の旅行先で老舗の定食屋へ行った。焼肉定食が有名なそのお店は既に満席で、数十分並んで入店した。古びた店内にテレビの音声が大きく響き渡っていて、人々は夢中で焼肉定食をかき込んでいる。目の前のプレートで自分で火を通していただくスタイルだから、店内には肉の焼ける濃い匂いが充満していてお腹が空く。席について焼肉定食を頼むとすぐに運ばれてくる。昔から使っているのであろうご飯茶碗は淡い水色で、ご飯はすこしゆるめに炊いてあるようだった。わたしはかためのご飯が好きなので内心(そっかあ)と落ち込む。玉ねぎと和えられたお肉と、キャベツの漬物と、お味噌汁が並ぶ。
いただきます。夫と向き合ってまずはお味噌汁を飲むと、驚いた。祖母の味噌汁の味そのものだった。祖母はもう十年近く前に亡くなっているし、一緒に暮らしていた頃なんてもう二十年も前だ。祖母の味噌汁なんて覚えていなかったはずなのに、わたしはたしかに昔この味噌汁を飲んでいたと思った。似ているかもとかこんな感じだったなあ、ではなくて、これそのものだった。大きめに切られた木綿豆腐。火の通り切った玉ねぎ。煮込みすぎてぶよぶよになっているわかめ。薄いけれどたしかに豆の味のする味噌。「ああ」と声を出すと夫がぎょっとした。視界が揺らぐ。わたしは目に涙を浮かべていた。「どうしたの」と言われて「おばあちゃんの味噌汁の味がする」と答えると、夫はすぐに味噌汁を飲んで「そっか」と言いつつも首を傾(かし)げた。うん、おいしいってわけじゃないでしょう。でも、この味なの。柔らかいご飯もしゃもじにめちゃりとくっつく祖母の炊くご飯のような気がしてきて、わたしは夢中で平らげた。
「けぇ」と言われる夕食の前に、祖母はわたしに「こぉ」と言った。(おいで)という意味だ。行くと必ずこっそり味見をさせてくれた。祖母と秘密を分け合うような味見は、何を食べても不思議ととてもおいしかった。
著者プロフィール

くどうれいん
作家。1994年生まれ。岩手県盛岡市出身・在住。著書に『氷柱の声』(講談社)、『桃を煮るひと』(ミシマ社)など。エッセイ集『湯気を食べる』(小社)は、第12 回料理レシピ本大賞【料理部門】「入賞」を受賞。

文/くどう れいん イラスト/秋山 花 デザイン/広瀬 匡(FEZ)








