
猫沢エミさん「心が疲れたら、手を動かす。料理は誰かのためだけでなく、自分自身を愛してあげるためのもの」

ミュージシャンで文筆家の猫沢エミさんは、現在パリ在住。猫沢さんといえば、SNSやエッセイで紹介されるおいしそうなごはんの数々「#猫沢飯」が話題です。
オレンジページnetではこの春、そんな猫沢さんによる新連載「マダム・サルディンヌのおいしい処方箋」がスタート!
WEBやSNSで募集したみなさんからのお悩みに、マダム・サルディンヌ、こといわし大好きな猫沢さんが、パリからエスプリたっぷりにお答えします。
今回は連載開始を記念し、猫沢さんに近況インタビューを敢行。愛猫・イオをがんで亡くすまでの最後の日々をつづった新刊『イオビエ ~イオがくれた幸せへの切符』の話や、日々の食生活やフランス暮らしの話、連載への意気込みなど、人柄がにじみ出る素敵なトーク内容を、2回にわたってお届け!
前編に引き続き、後編もちょっぴり肩の力が抜ける、楽しく生きるヒントが満載。猫沢節にパワーをもらえます。
50代を迎え、人生二度目のパリ暮らしの真っ最中である猫沢さん。日々SNSにアップされる、おいしそうなごはん「#猫沢飯」も話題です
心が疲れたら、とにかく料理をする。自分自身を愛するために
――新刊『イオビエ ~イオがくれた幸せへの切符』には、愛猫イオちゃんとの出会いと別れの日々がつづられる一方、おいしそうなお手製の「#猫沢飯」レシピが掲載されています。
たとえば今回の本にも載せている〈目玉焼きのっけ焼きそば〉なら、「イオを見送った後、泣きながら食べたなあ」とか、どんな料理も思い出とリンクしていて。
焼きそばって、どちらかというとお祭りのとき食べたりする、あっけらかんとしたB級グルメじゃないですか。でも私にとっては、やりきれないとき食べる料理。味わいもイオとの思い出とセットになっているんですよ。
「こんなときだけど、焼きそばなら食べられるかな」って作ったら、おいしくてめっちゃ食べちゃって、自分でも「私、今こんなに食べ物食べられるんだ」って気づかされたり。
――悲しいときでもおなかはすきますしね。
そうなんですよ。
わんわん泣きながら食べ物を口にして、泣き終わったころにはおなかいっぱいになって。出して入れるっていう循環は、心の循環でもある。
それでなんだかすっきりして、明日からまた生きられるかもって思えたらいいじゃないですか。
――2021年に出されたレシピ本『ねこしき 哀しくてもおなかは空くし、明日はちゃんとやってくる。』でも、〈ぐうの音もでないときこそ食べたい〉レシピなど、切り口がユニークでした。
今回の本も『ねこしき』も、掲載レシピを選んでくれたのは友人でもある編集担当なのですが、なかには「うそでしょ⁉これ載せる⁉」っていうのもあって。
『ねこしき』に載っている〈キャベツぎゅうぎゅうスープ〉なんて、鍋にキャベツをぎゅうぎゅうに詰めてすきまに水をはるっていう……「まじめに料理してる人に申し訳なくない?」って(笑)。
でも本当にまいっているときって、そんな感じの料理しか作れないですよね。
とにかく食べないのがいちばん体によくないし気持ちも落ちるから、作るほうのハードルを下げて、とにかく作りつづける、食べつづけることをしないと。簡単だけど、やっぱり食べるならおいしいものがいいよねっていう料理をレシピ化しています。
イオちゃんの記憶とともにある〈目玉焼きのっけ焼きそば〉。イオちゃんを見送った今も、思い出を反芻しながら食べる〈泣ける一品〉
『目玉焼きのっけ焼きそば』のレシピ(イオビエより)
材料(1人分)
焼きそば生麺……1玉
キャベツの葉…1枚
玉ねぎ…1/4個
にんじん…1/6本
ピーマン…1個
豚バラ肉…2枚
しょうがの薄切り……2枚
だし(茅乃舎野菜だし)…小さじ1
ウスターソース…大さじ2
塩、あらびき黒こしょう……各少々
青のり、ごま油、熱湯……各適宜
卵……1個
水……20ml(大さじ1と1/2)
作り方
(1)ボウルに焼きそば生麺を入れ、熱湯を注いで麺についている余分な油を落とし、ざるにあげておく。
(2)キャベツ、豚バラ肉は食べやすい一口大に、玉ねぎは薄切り、にんじんとピーマンは細めの短冊切り、しょうがは千切りに。
(3)熱したフライパンにごま油をひき、(2)のしょうがと豚バラを炒めて取り出しておく。同じフライパンに、ごま油を少し足して(2)の玉ねぎ、にんじん、ピーマン、キャベツを炒める。
(4)(1)の麺を加えて水を入れ、(3)の肉を戻し、全体を炒め合わせたら、野菜だし、塩で下味をつける。
(5)ウスターソースを入れて味を調え、器にもって黒こしょうをふる。
(6)別のフライパンにごま油をひいて卵を落とし、弱火にして黄身に白いポチができるまで焼いて、焼きそばの上にのせ、青のりをふる。
――SNSでの「#猫沢飯」の投稿を楽しみにしているファンも多いと思います。そんな猫沢さんの食の原点を教えてください。
よく「お母さまかおばあさまがお料理上手だったんですか?」ってきかれるんですけど、まったくそんなことないんです。母も祖母もむしろ料理が下手で。
ある日「今日のごはん何?」ってきいたら、「今日はねえ、ねぎをビールで煮てるの」って!弟たちに「今日は覚悟しといたほうがよさそう」と伝えました(笑)。
おばあちゃんはおばあちゃんで、高野豆腐をもどさないままトンカチで割って、そのままザラザラ~ッとおみそ汁に入れちゃうような人。水でもどすという概念がない(笑)。
食べたいものは作ってもらうのではなく、自分で作らないといけない状況だったから、ずいぶん早くから料理をするようになったんです。
そんな母も最後は料理が上達して……そういえば、母を亡くしてかなりたった後、冷凍庫から彼女の作ったカレーが出てきたことがあったんです。
不思議ですよね、作った人はもう存在しないのに、料理だけが時を止めて存在している。
なんともいえない気持ちがこみ上げて……あのカレーは食べることができませんでした。
――さっきお話に出てきた焼きそばと同じですね。やっぱり食と記憶が結びついている。
どんなに些細な日常の料理でも、何かの記憶や思い出があるからこそおいしく感じるのではと思っていて。
小さいころすごくおいしいと思っていたものが、じつは大しておいしくなかったってことあるじゃないですか。おいしく感じていたのは、いろいろな記憶とつながっているからなんじゃないかな。
「市販のルウで作ったお母さんのカレーが世界一おいしい」っていう人がいるのは、きっと記憶と愛があるゆえだし、やっぱり食べ物ってそうあるべきでしょって思います。
――ところで猫沢さんのSNSを拝見すると、だれかといっしょに食卓を囲むとき同様、一人ごはんのときもちゃんと料理を楽しんでいらっしゃいます。一人のときは作る気にならないという人も多いと思うのですが。
「食べてくれる人がいないんだもん」ってかた、けっこういますよね。でも、「いるじゃん目の前に! あなた、あなた!」って言いたいです(笑)。
これだけがんばって一日働いた自分に、何で食べさせてあげないのって。もうちょっと自分のことを愛してあげてもいいじゃないですか。
まず自分を大切にしてあげないと、力もわかないし、大事な人を助けることもできないはず。
–{自分自身を愛するために料理を作る}–
本やエッセイから受け取る印象どおり、オープンでやさしい猫沢さん。言葉の一つ一つから、温かいものがにじみ出るようなインタビューでした
――だれかのためだけでなく、自分自身を愛してあげるために料理を作る。たしかに、大切な視点かもしれません。
たとえば夜中に突然天ぷらが食べたくなったとするじゃないですか。
普通ならめんどうだしやりたくないけど、「よしよし、食べたいなら食べさせてあげようじゃないか!」って作ってみると、自家発電装置が作動して、疲れているけど楽しくなってきて。
「やっぱ、食べたいとき食べると違うな~」っていう充足感を得られたりするんですよね。
それに日々コンスタントに料理をしていると、おのずと台所も機能的になるし、無駄な食材を買うことも減っていくし、いろいろなことが効率よくできるようになって。
「作らなきゃ」という義務ではなく、自分に感謝しながら食べることを楽しむ。そういう〈癖〉を日常的につけるだけで、いろいろなことが整うと思うんですよ。
だから私は心がモシャモシャしたときは、とにかく料理をするようにしています。
――なるほど。「めんどくさい」から一歩踏み出してみたら、いいことばかりですね。
だいたい、疲れたな、コンビニ行こうかな、でも家にあるラーメンでいいかななんて迷って冷蔵庫のぞいてるうちに、すぐ30分くらい過ぎるんですから(笑)。
「疲れたな」の時点で作りはじめていたら、1~2品できてる!
――み、耳が痛いです……。
めんどくさいを切り抜けるための料理レパートリーなんて、毎日そればっかり食べるわけじゃないから、たくさん持つ必要はないはず。
私がよく作るのは、解凍した豚バラ肉を、ごま油とにんにくと塩と昆布だしを混ぜたたれに突っ込んで、ねぎといっしょにフライパンで炒めただけの塩豚丼です。
汁ものは、疲れているならインスタントのわかめスープ。それくらいの気楽さでいいんですよ。何でも最初に「ちゃんとやらなきゃ」って大げさに考えるとおっくうになっちゃう。日本人はみんなまじめに考えすぎるのかもって思います。
生身の猫ちゃん2匹と、お骨となった猫ちゃん2匹を連れてパリへ引っ越した猫沢さん。現在はフランス人パートナーとアパルトマンで暮らしています/撮影 関めぐみ
――では最後に、3月12日(イオちゃんの命日)から始まる連載「マダム・サルディンヌのおいしい処方箋」への意気込みを伺いたいです!
みなさんからのお悩みに猫沢さんが答える、という内容ですが。
どんな相談が来るのかとても楽しみで。逆に全然意気込んでいないんですよ(笑)。
悩んでいるときって、つい思い詰めてしまうけど、もっとラクに考えていいと思うんです。
私自身も、全身まひになりかけるような大病を患ったり、けっこういろいろな体験をしてきましたけど、乗り越えてしまえばどれもひとつの思い出でしかありません。
悪いことばかり続くことはなくて、必ずそのあとにいいことがある。そしてもちろん、いいこともずっとは続かない。
だから幸せなとき、「こうなったらどうしよう」「ああなったらどうしよう」と先の不幸なことを考えなくてもいいんです。
日本人って、今を見つめるのがとても苦手で、先の心配をする人が多いですよね。すごくもったいない。今、この一瞬を生きなくてどうするのって。
――パリの人々は、今を生きるのが上手という印象です。
そういうところは、めちゃくちゃパリと馬が合いますね。
昨年久しぶりにパリに戻って暮らすことになったとき、もうちょっと違和感があるかなと思っていたんですけど、全然で。「最高! やっぱりここだ」って感覚がありました。
残念ながら、日本にいるときのほうが違和感を覚えるんですよ。メトロに乗っていても、みんなスマホを見て他人に無関心に思えます。
――フランス人はよく個人主義といわれますが、〈個人〉のあり方を考えさせられますね。
「自分のことだけ考えて、他の人のことは知らない」というのは個人主義ではないんです。一人一人が自分の考えをちゃんと持っているのが個人主義。私はフランスのそういうところがすごく好き。
こういうご時世だからこそ、人の顔色をうかがうんじゃなくて、自分の考えで行動できる人を増やしていきたいと思って。
今回の連載でも、決して偉そうなことを書くつもりはなくて、あくまで同じ目線で「人間ってそうだよね、わかるわかる」って笑いながら、「じゃあ何ができるかな?」ってうなずき、いっしょに考えたい。
それで最後、「ああ、ラクになったな」って思ってもらえたらうれしいですね。
〈PROFILE〉
猫沢エミさん
1970年、福島県生まれ。9歳からクラシック音楽に親しみ、音大在学中からプロのパーカッショニストとして活躍。96年シンガーソングライターとしてメジャーデビュー。2002年に渡仏し、07年より10年間、フランス文化に特化したフリーペーパー『BONZOUR JAPON』の編集長を務める。帰国後、フランス語教室「にゃんフラ」を主宰。22年2月より、二度目のパリ移住。著作に『ねこしき 哀しくてもおなかは空くし、明日はちゃんとやってくる。』『イオビエ ~イオがくれた幸せへの切符』(TAC出版)、『猫と生きる。』『パリ季記』(ともに復刻版・扶桑社)など。
『イオビエ ~イオがくれた幸せへの切符』1980円(TAC出版)
撮影(人物)/馬場わかな 文/唐澤理恵