close

レシピ検索 レシピ検索
柚木麻子の「拝啓、小林カツ代様」~令和のジュリー&ジュリア~
人気作家・柚木麻子さんが昭和の料理研究家・小林カツ代さんを語る食エッセイ。映画「ジュリー&ジュリア」ばりに往年のカツ代さんレシピを作り、奮闘します。コロナ禍ですっかり料理嫌いになった柚木さんが、辿り着く先はーー?

【柚木麻子連載】「これは確かにすごいかもしれない」と『ランチのアッコちゃん』モデルのS先輩がつぶやいた【大阪千日前・純喫茶アメリカン】

2023.10.21

小林カツ代が愛した「純喫茶 アメリカン」のビフカツサンドウィッチ

第6回「これは、確かにすごいかもしれないと『ランチのアッコちゃん』モデルのS先輩が呟いた」

第5回 ついに来たタイミング。妙齢女子こそ、小林カツ代の「お粥パーティー」をせよ。

仕事で大阪に行くことになった。そこで、関西に住み始めたばかりの、会社員時代の先輩、SさんにLINEした。Sさんは私が知る中でいちばん食べることが好きで、味覚が鋭い。「今は餅が(自分の中で)キテる」など常にマイブームを探求しつつ、美味しそうな店や流行のきざしを求めて、街を観察をしながらよく歩いている女性だ。ちなみにヤクルト1000のブームを2年前、誰よりも早く言い当てたのは、このS先輩である。

私はSさんをどうしても連れて行きたい店があった。それは私が大阪に行く度に必ず訪れる「純喫茶 アメリカン」である。ここに最初に足を踏み入れたのは今から15年以上前。旅行中にたまたま通りかかったら、星のマークで彩られた看板のロゴに惹きつけられた。プリンファッション、イタリアンといった純喫茶の定番がすべてそろっていて、そのメニュー数の多さと美味しさに驚愕。そのあと、甲斐みのりさんの『乙女の大阪』(マーブルトロン)で取り上げられているのを見て、名店であることを確信した。


「ここ、あの小林カツ代が小さい頃から通っていた店なんですよ! 最近知って、すごい納得したんです」と力説すると、クールなSさんがほほう、という顔になる。カツ代さんは年少期から結婚する21歳まで、ここから歩いてすぐの場所にある日本橋(にっぽんばし)北詰で暮らした。製菓材の卸問屋を営む裕福な両親、姉に囲まれ、勉強はそう好きではなかったようだが、日本舞踊を習うなどして、すくすく大きくなっていく。


ガラスケースの中の色鮮やかな食品サンプル、高い天井から下がったまばゆいシャンデリアをとりまくらせん階段、お花の形の照明、ふかふかの絨毯、店員さんのかっちりした紺色の制服、波打つ木の壁にはめ込まれたモダンアートぽいステンドグラス。1946年から続く古き良き老舗でありながら、視界には「映え」しかない。地元の常連客にまじって、海外からの観光客らしき若いひとたちが、面白くて仕方がないといった顔で店内を眺めている。

私が「アメリカン」の好きなところは、何に対しても全力なところだ。隅々まで清潔で、注文するとあつあつの料理がすぐ出てくる。ケチャップもあんこもシロップも手作りしていて、フルーツポンチの果物まで新鮮。アンみつ豆からビフカツ丼まで何を頼んでも、作り手がその一皿にかけていることがわかる。ミラーボールの内部のような店内なのに、どこか洒脱で、風通しがよい。

2階への階段を上ってすぐの席に落ち着くと、さっそく今愛読している『小林カツ代はこんなにいろいろ食べてきた』(文藝春秋)をカバンから取り出した。真野正美さんの食べ物の挿絵とともに、カツ代さんが大阪で愛した食の思い出が綴られ、店の名前までちゃんと書かれている。もちろん、今はなくなってしまった店もあり、カツ代さんはそれを悲しんでいるが、存続しているところも多く、その一つが「アメリカン」だ。4章にわたってその思いが綴られているくらいだから、この愛は本物だ。カツ代さんのお勧めにちなんで、コーヒ、ホットケーキ、ビーフカツサンドウィッチを注文する。ビーフカツサンドを食べるのは、私も今回が初めてだ。

Sさんは運ばれてきたコーヒを一口飲むなり「濃い!贅沢」と感嘆。ホットケーキを食べると、ううむと、皿を見下ろして「これはちょっと確かにすごいかもしれない」と、つぶやく。私はすかさず「でしょう?」と被せる。ホットケーキには満遍なく焼き目がつき、あらかじめバターがたっぷり塗られているだけではなく、雨傘のように切れ目が入っている。ふんわりと軽く、口溶けがよく、粉くささが1ミリもない。

カツサンドも一口大に切ってあって、パンはトーストされている。カリカリのカツは、脂が少なくてやわらかいジューシーなマル芯肉。添えられたパセリまでが野原に咲いているみたいな、張り詰めた濃い緑だ。

「トースト、肉、衣、ソース、それぞれの味と分量のバランスがなんともいえず絶妙なんですわ」(『小林カツ代はこんなにいろいろ食べてきた』より)とカツ代さんは絶賛している。食べやすさも「アメリカン」の大きな特徴だ。商談中のお客さんのために、片手で食べられる一口サイズを意識したのかもしれない。カツ代さんがよく言う「シュッとした味」というものが、なんとなくつかめる。このあと我々は、手作りのケチャップの甘さを堪能できる、薄焼き卵がしっかり巻かれた、まるまるしたオムライスまで平らげる。

「カツ代さんのお母さんの笑(えみ)さんは、御寮人さんと呼ばれて商家を仕切っていたらしいですが、よくこっそり仕事を抜けて、小さなカツ代さんと映画館に行って、そのあと、このお店に来てコーヒーを飲んでいたらしいんですよ」

使用人の目を気にして「買い物に行ってきます」と言って外に出るなり、身につけていた割烹着をすぐ脱いで、バッグにしまっていたらしい。そんな風に笑さんは、自分の楽しみには貪欲ではあったけれど、丁稚さんたちをお腹いっぱいにしてねぎらうことも忘れない。笑さんがパパッと作る大勢で囲む満足度の高い料理は、カツ代さんの原点だったようだ。

『小林カツ代のらくらくクッキング』(昭和55年・文化出版局)に詳しくつくり方が載っている、そうめんもその一つ。黒い背景に置かれた、きんきんに冷えている、薬味たっぷりそうめんのグラビアは美しい。カツ代さんは結婚した当時、味噌汁がうまく作れなくて落ち込むが、すぐに家庭料理のパイオニアとして称賛されるようになったのは、幼い頃から積み重ねてきた食の経験値が人並みはずれて高いためだろう。


「全部、本気の味だった、すごくいいお店だね」と、あのS先輩から太鼓判をいただき、私は大満足して、ホテルに帰った。


連載1回目で私はカツ代さんのように強くなりたい、と書いたが、体力はもちろんのこと、その強さを支えているのは圧倒的な文化資本と自己肯定感だ。


生まれた時から、舞台や芸術などエンターテイメントがとけこんだ街並みと外食文化がそばにあったことが、彼女の資質を大きく伸ばした。そういえば、カツ代さんに限らず、アイコニックなレジェンド女性が、関西でこうした豊かな子供時代を過ごしていることはとても多い。カツ代さんという人間を知れば知るほど、普通の日にハレの日がとけこんでいることがわかる。だから、彼女の視点を通すと、日常が非日常になる。彼女のレシピがどこにでもある食材で作れるのに、食卓に載せると、反応がすこぶるよくて、ちょっとだけ特別な時間になる理由もそこだ。料理だけではなく、トークも歌も絵も、カンがよく全部うまい。「純喫茶 アメリカン」を通すと、カツ代さんへの解像度は爆上がる。もともと恵まれている人ならではの輝きなのは確かだが、もっとアメリカンに通いつめればその呼吸はつかめるのではないか、という気にもさせられる。今からこの豊かな文化をすべて吸収することでは無理でも、サービス精神やリズム、輝きを前にした時のひるまなさを真似ることは可能ではないか。


余談だが、私は今、杉田かおるにハマっていて、テレビでの子役デビュー作「パパと呼ばないで」に続いて「雑居時代」をアマプラで視聴している。

70年代の東京は、私の薄れゆく幼い頃の記憶とほんのり合致していて、物語に関係のないところで引き込まれる。そして、「アメリカン」ほどではないにせよ、デコラティブでギラギラのテーマパークみたいな喫茶店が、あきらかにセットではなく、ロケ先でいくつも登場することに驚くのである。ビビッドカラーのストライプの壁紙、空間が舞台みたいになる大げさな段差、赤いさくらんぼうを乗せたクリームソーダや、銀食器にレースペーパーをしいた三角形のサンドイッチ。もう戻らない高度成長期――、と切なくなることもあるが、私としてはこの雰囲気をぜひ、自分の中に養分として取り込んでしまいたいと思うのだ。

今回紹介した、カツ代さんが愛したお店

わたしが大阪に帰ってきて、ちょっとでも時間があいたら行くところ。それがミナミ千日前の喫茶店「アメリカン」です。「アメリカン」にはおいしいものがいっぱいありますけれど、わたしがイチオシしたいのが、カツサンド。カツサンドいうても、分厚いトンカツがパンの間にはさまっているのとはちがいます。上等のビーフカツが、薄く上品に焼かれたトーストにはさんである、それは繊細なサンドイッチですの。

『小林カツ代はこんなにいろいろ食べてきた』(文藝春秋)より

純喫茶 アメリカン

SHOP DATA 
大阪府大阪市中央区道頓堀1-7-4 株式会社アメリカンビル
大阪メトロ御堂筋線・四つ橋線・千日前線「なんば駅」 から徒歩5~10分、大阪メトロ堺筋線・千日前線 「日本橋駅」から徒歩6分 
TEL 06-6211-2100 
営業時間 10:00~22:00(L.O.21:45) 火曜日は10:00~21:30(L.O.21:15)※火曜日も祝日、祝前日は通常通り営業。
定休日 12/31 ※月に3回ほど、木曜日にお休みあり。

次回は11/25(土)更新! お楽しみに。

柚木麻子(ゆずき あさこ)
2008年「フォーゲットミー、ノットブルー」でオール讀物新人賞を受賞し、10年に同作を含む『終点のあの子』でデビュー。15年『ナイルパーチの女子会』で山本周五郎賞を受賞。著書に『私にふさわしいホテル』『ランチのアッコちゃん』『伊藤くん A to E』『マジカルグランマ』『BUTTER』『らんたん』『とりあえずお湯わかせ』『オール・ノット』など多数。 毎月第4土曜日更新・過去の連載はこちら

文/柚木麻子 イラスト/澁谷玲子 プロフィール写真/イナガキジュンヤ  取材協力/(株)小林カツ代キッチンスタジオ、本田明子

SHARE

ARCHIVESこのカテゴリの他の記事

TOPICSあなたにオススメの記事

記事検索

SPECIAL TOPICS


RECIPE RANKING 人気のレシピ

PRESENT プレゼント

応募期間 
5/28~6/17

日清ヘルシークリアプレゼント

  • #食

Check!